NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

夏彦翁

平成14年(2002年)10月23日 山本夏彦 没


安直な“正義”を嫌い(“茶の間の正義”)、徹底して“偽善”と戦い続けた、稀代の名コラムニスト。
曰く、

およそ天下に五枚で書けないことはない。

── (『「豆朝日新聞」始末』)

人は、親しみと尊敬の念を込め“夏彦翁”という。


翁のことば、厳選(出来なかった)五十。
何用あって月世界へ』より抜粋。

  • テレビは巨大なジャーナリズムで、それには当然モラルがある。私はそれを「茶の間の正義」と呼んでいる。眉ツバものの、うさん臭い正義のことである。
  • 俗に金のためなら何でもする、犬のまねしてワンと吠えよ命じられればワンと吠えると言うが、これはそれほど人は金を欲しがるというたとえ話で、いかにも人は金を欲するがそれ以上に正義を欲する。
  • 理解をさまたげるものの一つに、正義がある。良いことをしている自覚のある人は、他人もすこしは手伝ってくれてもいいと思いがちである。だから、手伝えないと言われるとむっとする。むっとしたら、もうあとの言葉は耳にはいらない。
  • 私は衣食に窮したら、何を売っても許されると思うものである。女なら淫売しても許される。ただ、正義と良心だけは売物にしてはいけないと思うのである。
  • 汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす。
  • 正義はソンでもソンのほうをとってはじめて正義であることがある。
  • 衣食足りると偽善を欲する。
  • 私は、正直者は馬鹿をみるという言葉がきらいである。ほんとんど憎んでいる。まるで自分は正直そのものだと言わぬばかりである。この言葉には、自分は被害者で潔白だという響きがある。悪は自己の外部にあって、内部にはないという自信がある。
  • 善良というものは、たまらぬものだ。危険なものだ。殺せといえば、殺すものだ。
  • 主婦のなかの最も若く最も未熟なものを、警察官にするとどうなるか。正義の権化になる。権化になって何が悪いのかというだろうが悪いのである。
  • それは美容上の問題である。「主婦連」や「地婦連」は怒るのが商売だから仕様がないが、並みの主婦がそのまねをしてはいけない。回らぬ舌でまねをすると、顔つきまで似てくる。折角の器量が台なしになる。まして折角でない器量は、さらに台なしになる。そしてこの世は折角でないものの方が折角より多いとすれば、日本中台なしになる。
  • その顔を鏡にうつして見てごらん。口は鼻よりさきに出ている。耳までさけている。むかしは恋したときもあったろうに、その顔はどこへ去ったのかと思わないのかしらん。
  • 権利と義務の両方を覚えさせたければ、権利を一回教えたら、義務を三回教えなければ、もともとおぼえたくないのだから、おぼえない。両方平等に教えたらいいと思うなら、人情の機微を知らないと評されても仕方がない。
  • 私は「暮しの手帖」をほめたことがある。ひと口に雑誌の性格というが、その性格は、誌面にあるものからばかり成っているのではない。むしろ、ないものから成っている。たとえば、この雑誌には、流行作家の小説がない。芸能人のスキャンダルがない。政治に関する議論がない。身上相談、性生活の告白のたぐいがない。さながら、ないないづくしである。けれども、以上は偶然ないのではない。ほかの雑誌にあるものを、わざと去って、それによって、この雑誌の性格は顕著なのである。だから、あるものばかりでなく、ないものを見よとほめたのである。
  • 私はすべて巨大なもの、えらそうなものなら疑う。疑わしいところがなければ巨大になれる道理がないからである。大デパート、大会社、大新聞社は図体が大きい。よいことばかりして、あんなに大きくなれるはずがない。総評や日教組は組織が大きい。もっと大きいのは世論で、これを疑うのは現代のタブーである。だから私は疑う。世論に従うのを当然とする俗論を読むと、私はしばしば逆上する。
  • 新聞はいつでも、だましたほうを悪玉にして、だまされたほうを善玉にする傾向があります。だから、だまされたほうは、はげまされたような気分になるでしょうが、なにだまされたほうは欲ばりかバカだと私は思っています。
  • 実を言うと新聞の『天声人語』、『余禄』のたぐいは現代の修身なのである。あれには書いた当人が決して実行しない、またするつもりもない立派なことばかり書いてある。
  • 人は言論の是非より、それを言う人数の多寡に左右される。
  • してみれば言論の自由とは、大ぜいと同じことを言う自由である。大ぜいが罵るとき、共に罵る自由、罵らないものをうながして罵る自由、うながしてもきかなければ、きかないものを村八分にする自由である。
  • 言論の自由は大ぜいと同じことを言う自由であり、大ぜいと共に罵る自由であり、罵らないものを「村八分」にする自由である、これが言論の自由なら、これまでもあったしこれからもあるだろう。
  • 食いものの恨みは忘れ、旗(国旗)や歌(国歌)の恨みだけおぼえているのは不自然だというより、うそである。
  • この世の中は、九割以上習慣で動いている。そして、それでいいのである。習慣にはそれぞれ意味がある。けれども、なぜと聞かれても困る。
  • 白髪は知恵のしるしではない。
  • 身辺清潔の人は、何事もしない人である。出来ない人である。
  • 大きな声では言えないが、私は袖の下またはワイロに近いものは必要だと思っている。世間の潤滑油だと思っている。人は潔白であることを余儀なくされると意地悪になる。また正義漢になる。
  • 世はいかさまというのはこの世はいかさまから成っているということで、商才とか企画とか言えば聞こえはいいが、なにいかさまのことである。いかさまの才がなければ社員は出世できないし、またその社はつぶれる。
  • 芸(術)はしばしば毒をふくむ。毒ならば気がつかぬように盛らなければならない。
  • 「愛する」という言葉を平気で口に出して言えるのは鈍感だからだ。
  • 愛するが日本語になるには、まだ百年や二百年はかかる。
  • 今はにせの恋の時代である。にせの恋を本ものと信じ、にせの抱擁を繰返して、やがて死にいたる。人はついに、にせの恋を恋し、にせの死を死ぬことしか許されぬのであるか。
  • 人が足りる思いをするのは、他と区別して多い場合である。
  • 古人は言論を売らなかった。今人は売る。
  • 親切というものはむずかしいという自覚を、親切な人は忘れがちである 。
  • 子供は大人がみくびるほど鈍くはない。彼らは大人が何を欲するか知っている。
  • 古いしつけは親たちが滅ぼした。新しいしつけは親たちが邪魔して育たない。
  • 先生が子供たちに意見を言わせ、それをディスカッションと称して聞くふりをするのは悪い冗談である。意見というものは、ひと通りの経験と常識と才能の上に生じるもので、それらがほとんど子供には生じない。
  • 世の中には自分で経験しなければ会得できないことが山ほどある。親はすでにそれを経験しているから、子を危ぶんで一々指図したがる。気の利いた子供なら親の言うことなんか聞かないからいいが、唯々諾々と聞くようだと子供はいつまでも一人前はなれない。親がじゃまして子に経験させないからである。
  • 子供たちは互いにおうむ返しだと知りながら、自分の言葉としょうして発言する。それなら大人と同じである。
  • 親は子の口まねをしないことをすすめる。これだけで日本語は改まる。親というものは、子供がこの世で出あう最初の教師である。箸のあげおろしから、基礎的な言葉まで、子が親のまねをするのが順序である。
  • ねずみ講」は日本中の善男善女をだました、許せないと新聞がいうと、テレビも同じくいう。だまされたのは欲ばったからで、馬鹿だったからだというなら分るが、善人だったからだという。
  • 知らないことには二種ある。全く知らないことと、よく知らないことの二種である。人は全く知らないことでさえ、知ったかぶりして教えようとする。すこし知ることなら得意になってなお教えようとする。
  • 事実があるから報道があるのではない。報道があるから事実があるのである。
  • 大ぜいが異口同音にいうことなら信じなくてもいいことだ。
  • 「つて」はいまの「コネ」で、コネは一生を左右しますから、戦前は「縁」と言って大事にしました。
  • 本というものは、晩めしの献立と同じで、読んで消化してしまえばいいものである。記憶するには及ばないものである。何もかも記憶しようとするのは欲張りである。忘れまいとするのはケチである。
  • 本はあんなにあふれているが、本当はあふれてはいない。ただ棚をふさいで、見るべき本の邪魔をしているのである。
  • 私はなるべく「世間」または「世の中」と言って「社会」と言わない。「白状」と言って「告白」と言わない。「五割」または「半分」と言って、「五〇パーセント」と言わない。そのほうが耳で聞いても、目で見ても分かりやすいからである。
  • 私は断言する。新聞はこの次の一大事の時にも国をあやまるだろう。
  • まじめ人間はまじめくさるからいけないのである。今も昔も私たちに欠けているのは笑いである。
  • 八百長は必ずしも悪事ではない。この世はもっと本式の悪事に満ちたところである。それを知って悪に染まないのと、知らないで染まないのとでは相違する。いうまでもなく、知ってそれをしないのがモラルである。

誰か「戦前」を知らないか―夏彦迷惑問答 (文春新書)

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浮き世のことは笑うよりほかなし

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「豆朝日新聞」始末 (文春文庫)

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