NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

一日一言「天を相手にせよ」

九月二十四日 天を相手にせよ


 明治十年(西暦一八七七年)の今日、西郷南州翁が城山で戦死した。西郷(隆盛)は「敬天愛人」を貫いたが、それは次の言葉から生まれた。


  道は天地自然の道にして、人は之を行ふものなり、故に天を敬するを以て目的となす。天は人も我も同一に愛す、故に我を愛する心を以て人を愛すべし。
  人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。

── 新渡戸稲造(『一日一言』)

人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして、己を尽し、人を咎めず。
即ち、“敬天愛人”。


鈴木亮平『身が引き締まる』西郷隆盛命日に墓参り」(朝日新聞
 → https://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/Cfettp01809240950.html
「“西郷どん”命日に墓参り 終盤も『魂の芝居をお届けできたら』」(毎日新聞
 → http://mainichi.jp/articles/20180924/dyo/00m/200/021000c
「若き西郷隆盛の書簡、実物を初公開…22日から、福井県立歴史博物館で」(産経新聞
 → https://www.sankei.com/west/news/180919/wst1809190063-n1.html

 もしわが国の歴史から、もっとも偉大な人物を二人あげるとするならば、私は、ためらわずに太閤と西郷との名をあげます。二人とも大陸方面に野望をもち、世界を活動の舞台とみていました。ともに同国人とはくらべものにならないほど偉大でしたが、二人の偉大さはまったく相反していました。太閤の偉大さは、思うにナポレオンに似ていました。太閤には、ヨーロッパの太閤に顕著なほら吹きの面が、その小型ながら、かなりあったのです。太閤の偉大さは、天才的な、生まれつきの精神によるもので、偉大をのぞまなくても偉大でありました。しかし西郷は、そうではありません。西郷の偉大さはクロムウェルに似ていて、ただピューリタニズムがないためにピューリタンといえないにすぎないと思われます。西郷には、純粋の意思力との関係が深く、道徳的な偉大さがあります。それは最高の偉大さであります。西郷は、自国を健全な道徳的基盤のうえに築こうとし、その試みは一部成功をみたのであります。