“Forever Young”
実は、どんなに用意しようと、私たちはやがて目がかすみ、耳が遠くなり、すべての機能が悪くなる。本当の老年の到来を迎えた時、私はたった一つの態度しか思いうかべることができない。それは汚辱にまみれても生きよ、ということである。
「風になぶられるしなやかな髪、みずみずしい唇」の少女の日も、それは一つの状態であった。目も耳もダメになり、垂れ流しになりながら苦痛にさいなまれることも、しかし、やはり一つの人間の状態なのである。願わしい状態ではないが、心がけの悪さゆえにそうなるのではないのだから、どうして遠慮することがあろう。
人間らしい尊敬も、能力もすべて失っても人間は生きればいいのである。尊敬や能力のない人間が生きていけないというのなら、私たちの多くは、すでに青春時代から殺されねばならない。
今日は敬老の日。
「【主張】敬老の日 地域で高齢者を見守ろう」(産経新聞)
→ http://www.sankei.com/column/news/180917/clm1809170001-n1.html
お年寄りは、長く社会に尽くしてくれている。だから敬いたい。
それなのに、日本を相次いで襲う自然災害が、お年寄りの命をも奪っている。高齢者を災害弱者にしない社会になっているのか。
7月の西日本豪雨で浸水した岡山県倉敷市真備町では、51人の死者のうち9割近くが65歳以上だった。
倉敷市は事前に「避難準備・高齢者等避難開始」を出したが、対象は市の山沿いだった。浸水した地域に注意が行き渡っていたか疑問だ。夜、真備町に避難の勧告や指示が出てから大量の浸水まで、あまり時間はなかった。
高齢者には身体的に自力での避難が難しい人がいる。インターネットになじみが薄く、災害情報を得にくいことも考えられる。これまでの経験から大丈夫と思い込んでしまうこともあるだろう。
自治体が情報を早く確実に届け、地域ぐるみで高齢者の避難を助けることが欠かせない。
今年の猛暑は気象庁が「災害」と呼んだほどだった。熱中症で9月上旬までに救急搬送された人の半分近くは、高齢者である。
お年寄りは暑さや水分不足を感じにくく、熱中症になりやすい。家族が注意したいが、独居老人もいる。近所の住民や民生委員、介護従事者など、関係する人すべてがその存在を気にしておく必要がある。
災害が発生した後も気配りが必要だ。平成23年の東日本大震災では、震災関連死の約9割を66歳以上が占める。避難所などでの激変した暮らしは、お年寄りにとって精神的にも身体的にも過酷であるに違いない。
北海道地震でも、不自由な暮らしを余儀なくされている高齢者がいる。医療的なサポートを含めて高齢者を支えたい。お年寄りが困っていたり不自由にしていたりすれば、ためらわず援助の手を差し伸べよう。障害者に対しても同じである。
鍵になるのは、地域や周囲の見守りと支えである。
今の日本を築いてきてくれたお年寄りは、慈愛を持って子や孫を育ててくれた。過去の災害を乗り越えた知恵を伝えてくれることもある。
あなたがいつまでも若くありますように。
あなたの手がいつも忙しくありますように
足はいつも速くありますように
つよい基礎を持ち
変化の風向きが変わろうとも
あなたの心はいつも喜んでいて
あなたの歌がいつも歌われ
あなたがいつまでも若くありますように
── BOB DYLAN “Forever Young”