NAKAMOTO PERSONAL

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歴史と文学に憧れの人はいるか

「【正論】歴史と文学に憧れの人はいるか 大阪大学名誉教授・猪木武徳」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/180727/clm1807270005-n1.html

 ある国民が、自国が生み出したいかなる人物を理想的な人間像と考えるのかを問うことは、もはや時代遅れなのだろうか。国民にとって理想や憧れの人間像を語ることは時代錯誤だとの誹(そし)りも理解できなくもない。「グローバル人材」という奇妙な言葉が行政の文書に登場するようになると、国が理想的な人間像を国民に押し付けるのに違和感を覚えるのは当然であろう。

 しかし憧れる人物を自国の歴史や文学の中に見いだせないということは、国民としての自尊の精神の喪失につながりかねない。


 ≪遠藤を驚かせたフランス人≫

 1950年、作家の遠藤周作は27歳で文学研究のため、戦後の復興さなかのフランス・リヨンの大学に留学した。その遠藤が同じ大学で教授資格試験の準備をしている同年輩の若者と交わした会話を友人がメモしたもの(『フランスの大学生』所収)を読んで、理想の人間像について改めて考えさせられた。その会話のごく一部を抜き書きすると以下のようになる。

 遠藤がフランス人の友人に「枕頭(ちんとう)の書」は何かと尋ねると、彼はカントの『実践理性批判』だと答える。哲学的によくわからないが、自分たちフランスの若い世代は、(第二次大戦で)現実の大きな力の前に無力感、宿命感を味わわされた。自分たちの良心の声は結局、無効なのだという悲しみを味わった。そんなとき、カントの、よし無償であり、報われることがなくとも、良心の必然命令に従わねばならぬという声は、自分に何か勇気と慰めをあたえてくれるという。

 さらに遠藤が「古典では何が好きか」と尋ねると、その友人は、ギリシャ悲劇、ソフォクレスは何度も読み返している。17世紀の古典文学も、と答える。

 意外に思った遠藤は、「君は、その17世紀のフランス古典文学が現在の君を支えると思うか」と問い返すと、フランスの青年には、17世紀からの、伝統的な人間タイプは郷愁なのですよ。特に現在のように、人間が分裂してしまっているときには、それは一つの郷愁になるのですと言うのだ。

 この答えによって、遠藤はフランス人の間には、一つの理想的人間のタイプが長い文学伝統に存在し、そこから夢やヒューマニズムを養っているのだということに気づくのである。


 ≪「郷愁」を考えさせる機会がない≫

 では日本はどうかと遠藤は自問する。自分たちの世代にはそういう理想的人間がどこを探しても見当たらない。だから否定の連続ばかりで、肯定ということがなかなかできないのではないか。

 筆者には、この何気ない会話の中に、日本の教育が抱えもつ問題の一端が示されているように思われる。遠藤の感慨は、より強く現代のわれわれにも当てはまるのではないか。

 「個性」の誇示が推奨されたとしても、「個性」がなぜ求められ尊重されねばならないのかを語ることはない。初等、中等、高等教育すべての段階を含む、まさに教育そのものの中に存在すべき「郷愁」「憧れ」といったものの意味を考えさせてくれる機会はほとんどないのだ。

 この点に関して、20年ほど前、米国から筆者の勤務する大学に移ってこられた先生に薦められて読んだ内村鑑三の『代表的日本人』が思い出される。

 西郷隆盛上杉鷹山二宮尊徳中江藤樹日蓮上人の5人の日本人の人物論である。国際感覚を持つナショナリスト内村が英語で書いた同書を、米国生活の長かったわたしの同僚の先生も、おそらく遠藤周作と同じような気持ちで読まれたのではなかろうか。

 実証性という点では同書のベースは決して堅牢(けんろう)なものではない。しかし日本人の精神的な遺産と精神的な独立を尊重した内村が、5人の代表的日本人を取り上げながら日本人を西洋人に知らしめようとした姿勢には感動を覚える。そこには無反省な国粋主義ではなく、日本が生み出した偉人の精神の普遍性への内村の共感が強く表明されているからだ。


 ≪日本の偉人をもっと知るべきだ≫

 筆者は内村の描いた二宮尊徳の思想と行動にいたくひかれ、小田原の報徳二宮神社や尊徳記念館・報徳博物館を訪れたことがあった。

 報徳二宮神社で「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」と書かれた額を見たときは、いまだ世界はこの箴言(しんげん)を体得していないと思わざるを得なかった(ちなみに「経済」「道徳」「犯罪」という言葉が、江戸末の日常語ではないように思ったので、その出典は調べてみたが明らかにすることはできなかった)。

 いずれにせよ、歴史においても文学においても、日本には誇るべき人物がいる。そうした日本の偉人についてわれわれはどれほど知っているのだろうか。

 それは科学・技術に貢献した偉人に関しても言える。日本の小学生はエジソンはよく知っているが、田中久重や島津源蔵についてはあまり知らないのではないか。

代表的日本人 (岩波文庫)

代表的日本人 (岩波文庫)