NAKAMOTO PERSONAL

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「こんなにやつきになつて...」

「【産経抄】6月2日」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/180602/clm1806020003-n1.html

 「こんなにやつきになつて罵詈(ばり)雑言を浴びせかけなくてもよささうなもの」。劇作家で評論家の福田恆存さんは昭和30年に発表した論文『輿論(よろん)を強ひる新聞』で、当時の新聞による吉田茂首相糾弾をいぶかっている。「どの新聞もどの新聞も、まるで相談したやうに反吉田になつてゐる」。

 1年間の海外旅行から帰国した福田さんが、日本の新聞から受けた印象は「正常ではない」だった。「吉田内閣が末期的なのではなくて、その攻撃の仕方が末期的」「一度、反吉田の線をだした以上、どうしても辞めてもらはなければ、ひつこみがつかない」。

 63年も前の論文を引っ張ってきたのは、5月31日付朝日新聞の2本の社説からの連想である。タイトルは「麻生財務相 もはや辞めるしかない」「党首討論 安倍論法もうんざりだ」だった。吉田元首相の孫である麻生太郎氏に、即時辞任を迫っていた。

 朝日がいう安倍論法とは「質問に正面から答えず、一方的に自説を述べる。論点をすり替え、時間を空費させる」ことだそうだ。残念ながら、いったん攻撃を始めるとエスカレートしていく新聞の体質は、現在も改まっていない。

 もっともインターネット上では、朝日の社説は自己紹介だと皮肉られもしている。吉田元首相の時代と違うのは、ネットの普及によってマスコミの報道や論調が相対化され、即座に反論や批判を受けることである。

 マスコミ同士、業界内部での相互批判が増えたのも健全なことだろう。元読売新聞ベルリン特派員の木佐芳男さんは新著『「反日」という病』で、朝日のあり方についてこう分析している。「自己愛がふくれあがり、対日本、対日本人との関係でいちじるしく摩擦を起こしている」。すとんと腑(ふ)に落ちた。

 新聞はあくまで事実の報道という形で、国民を一定の方向に追いやることができますが、さらにその限度を超えて、最初から「世論はこうだ、こうだ」と国民の頭上におっかぶせていくとなると問題です。ことに一般の国民は難解拙劣な政治記事を読まずに、見出しや煽情的な社会面を読みがちですから、そういう工作は易々たるものです。もちろん、国民の大部分は動かされはしませんでした。

── 福田恆存『輿論を強ひる新聞』