NAKAMOTO PERSONAL

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「本を読まない人たちが知らない人生」

齋藤孝『本を読まない人たちが知らない人生』 『自分らしく生きる』とはどういうことか」(東洋経済
 → https://toyokeizai.net/articles/-/218588

 今年の2月、大学生協が発表した報告書によると、大学生の53.1%が1日の読書時間について「ゼロ」だと回答したそうです。1日の読書時間の平均は23.6分、一方で1日のスマートフォン利用時間の平均は177.3分になるそうです。これは非常に驚くべきことです。


読書は生きるための基本
 私は職業柄、人間が自己形成をしていくうえで、読書がいかに大切かということを身をもって知っています。たとえば哲学者のニーチェは『ツァラトゥストラ』の中で「読書をする怠け者を憎む」と述べています。つまりニーチェは、自己形成のためには読書をするだけではなく、自分で考えることが大切だと言っているのです。

 しかし現代人は、自分で考えるどころか、本すら読まなくなってきている。これは非常に深刻な事態でしょう。人間が生きていくうえで欠かせないのが「思考力」です。知識をもとにして自分の頭でものごとを考え、価値観を培っていく。そのベースとなるのが本であり、読書であるからです。

 本というのは基本的に、「偉大な他者が書いたもの」です。それらを読むことで、自分の思考を深め、精神を高めることができる。たとえば、夏目漱石が書いた本を持ち歩き、読むことで、偉大な人とつねにつながっている感覚を得ることができます。読書とは、他者の話に耳を傾け、自分自身と向き合うことです。その他者が偉大であればあるほど、一流の思考を自分自身に取り入れ、人間としての骨格を形成するきっかけを与えてくれるのです。

 たとえば、サッカー・スペインリーグのFCバルセロナに所属しているメッシというプレーヤーがいますね。メッシのような一流のプレーヤーは、すべてのプレーで見る人を感動させ、刺激を与えることができる。バスケットにおけるマイケル・ジョーダンもそうです。私たちがこれらの人物に直接会えることはまれです。しかし、会う機会はめったになくても、一流の人の本ならば、いつでも誰でも触れることができます。

 私は、現代人は文学を読むことの優先順位を高く設定すべきだと思っています。なぜならば文学作品は、「自分の経験以上のもの」を与えてくれるからです。たとえば、『ジャン・クリストフ』という長編小説があります。この小説には、主人公が生まれてから死ぬまでの出来事が詳細に描かれています。このような小説を読んでいると、別の人間の人生を生きたような感覚を得ることができるのです。

 当たり前ですが、私たちは私たち固有の人生を生きているので、他人の人生を生きることはできません。しかし文学を読むことで、他人の人生を追体験することはできる。これが非常に大事なことです。言い換えると、他人の気持ちに感情移入し、想像するということですね。

 さらにこの経験は、私たちに「寛容さ」を教えてくれます。人間は「寛容さ」を身に付けるからこそ成長していくことができると、私は思っています。人が生きていくうえでは、他人の考えを想像して理解し、認めて、受け入れることが求められます。そのような力を培うことができるのが、文学なのです。

 文学を読むと、自分の弱い部分や、他人に対して攻撃的になってしまう「過剰な部分」を認めることができるようになり、人間としてのバランスが培われます。文学が描く「日常生活では経験できない世界」を通り抜けることで、精神的に成長することができるのです。


自分らしく生きるには
 一方で、文学は私たちがこれまでに経験してきたことを思い出させてくれる力も持っています。今回、『別冊NHK100分de名著 読書の学校』の特別授業で中学生に読んでもらった『銀の匙』という本は、そんな1冊です。この本には、著者である中勘助が子ども時代に経験した一つひとつの思い出が2ページ程度で描かれ、それに伴い主人公は成長していきます。

 たとえば本書には、子ども時代に経験したお祭りの話が出てきます。その部分を読んだときに私たちの頭の中で何が起こるかというと、まずは作品に描かれている中勘助の経験を想像します。そして同時に、「そういえば、自分も小さいころにお祭りに行ったな」と、自分の経験と照らし合わせます。つまり、中勘助の経験と自分の経験の2つを並行して追いかけているのです。文学を読む楽しみは、作者の経験に寄り添い、作品の世界へと深く入りこんで、その世界を共有することにあります。本を読むことは、大変高度で知的な作業なのです。

 この『銀の匙』から私たちが学べることは何か。ひとことで言うと「生き方の価値観を考え直す」ことの重要性です。普段、私たちは現代社会のさまざまな価値観に縛られています。たとえば、学校や会社ではつねに競争することを求められます。時には、何が損か得かを考えて行動しなければなりません。しかし『銀の匙』の世界には、そのような経済合理性の外にあるものの豊かさが多く描かれています。

 子ども時代を思い返すこと自体はおカネを生み出しませんし、おカネがかかることでもありません。しかし、自分の好きなものを好きだと言えた子ども時代、何のしがらみもなく自由に生きていたあの頃を思い出すことは、どのような状況にあっても、自分らしく生きることの価値を再認識するきっかけを与えてくれるのです。

 これは人生を後ろ向きに考えることではなく、人生を掘り起こすことなのです。「自分の人生なんて大したものではない」と思っている人にこそ、この『銀の匙』を読んでもらいたい。人生の意味は与えられるものではなく、見いだすものです。日中は一生懸命働いて、会社の外では文学の世界に少しでも浸ってみる。そうした異なる2つの世界を往復することで、人生本来の豊かさを再発見することができるのです。


読み聞かせの効用
 子どもを持つ親には、子どもに『銀の匙』を読み聞かせることをおすすめします。『銀の匙』のように、昔の話を読み聞かせる場合は、子どもにとってわからない言葉や言い回しが多いでしょう。でも、子どもにとってわかりやすいことだけが、ためになるとは限りません。少しくらいわからないことがあるほうが面白いんです。すべてをかみくだいてしまうと、物語自体の魅力がなくなってしまいます。ですから、わからない言葉があっても、わからないなりに親が読んであげることが大切です。

 喜劇役者として有名なチャップリンのお母さんは役者だったので、何かを子どもに説明する際、その人物になりきって話をしていたそうです。チャップリンが大人になって、感性豊かな作品を作り続けられたのは、この母親の影響が大きかったのではないでしょうか。

 本を読むとき、私たちは文字を追いながら映像をイメージしますが、子どもはこの作業に慣れていません。そこで、親は子どもがイメージしやすいように情感を込めて読んであげる。そうすると、子どもは頭の中の映像に集中でき、作品世界の理解につながります。

 中勘助の作品は、最初の数ページを読んだだけでも、私たちのこころをつかんで放さない力をもっています。人の言葉は、その人が死んでも作品の中に生きているものです。この『銀の匙』の中には中勘助が生きています。また、そのような言葉を読むことでこそ、生きるうえでの自分だけの支柱を立てることができるのです。

 本を読み、見識を広げ、寛容さを身に付ける。そして人間理解を深め、感性を豊かにする。本を読むことで、私たちは確実に人格をつくっていくことができます。自らを成長させるために、1日に1時間でもいいので、本の世界に浸ってみてはどうでしょうか。

読書について 他二篇 (岩波文庫)

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