NAKAMOTO PERSONAL

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「近代の理念や普遍知信仰は崩れた」

「【正論】近代の理念や普遍知信仰は崩れた 不合理なものは変えていこう 筑波大学大学院教授・古田博司」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/180426/clm1804260006-n1.html

≪「歴史の必然」は間違いだった≫

 現代から見ると、近代という時代には実にヘンな「理念」を人々が信じていた。「歴史の必然」といい、あらすじを決める何者かが歴史のなかに潜んでいると、20世紀日本の代表的知識人、福田恆存までが信じていた。彼は「近代化という仕事は歴史の必然に従っておこっている」(『福田恆存対談・座談集』第二巻)と、語っていた。ところが近代化は東アジア諸国では必然にはならなかった。

 彼らが約束・分業・人権・法治などをすべてスルーしたことは、今日明白である。「歴史の必然」と言い出したのは19世紀のドイツの哲学者ヘーゲルだった。彼は発展途上国の近代化を行う人々に元気を与えたが、もう終わった。実際に歴史を作っているのは、使命感をもった歴史家や歴史学者などの人間である。

 「社会主義の優位」というのもヘンな「理念」である。社会主義経済国からはついに社会主義経済論は生まれなかった。使われたのは19世紀の人で、資本主義経済の研究書を書いたマルクスの経済学であった。「労働価値説」といい、価値を生むのは労働だけだとし、流通は無視された。ゆえに食糧は配給制で、人々が長蛇の列をなした。経済が悪くなると流通部門がつぶされ、運転手や店の売り子が山で採取経済をさせられた。

 現代から見ると、あれは「古代経済や中世経済のマルクス経済化」にすぎない。計画経済は名ばかりで需給を考えないどんぶり勘定だし、計画が頓挫すると、すぐに古代や中世に逆戻りした。巨大建造物と破壊兵器をたくさん残したソ連は、今では中進国・ロシアになり、相変わらずみんなでバクー油田を食っている。


≪「革命」を賛美する恐ろしさ≫

 「革命正義」という「理念」は「フランス革命万歳」と言っていたオールドリベラリストが世界中に広めた。社会主義革命も含めて革命はみな良いことで、高校や大学の先生でかぶれた者が子供たちに教えたものだから、全学連全共闘など、「革命の再現実験」をしてみんな不幸になった。先の福田恆存は、天気予報は人に迷惑をかけないが、社会科学の予報を実現すれば社会が大変なことになると、1960年に警告していた。

 日本ではもう済んだことだが、韓国では遅れていて、ロウソク革命で暴虐な政府を倒した自分たちは「革命政権」だと、文在寅政権は信じ込んでいる。本当は学生運動の気分を残した「書生政権」にすぎない。これは大変な未来の誤算を生むことになるだろう。

 以上、近代の理念の多くは、文系知識人が生み出した勝手な「公理」から偽の因果ストーリーを導き出したものであり、現代では全然使えなくなっている。ならばどうするか。もっと文系の学問を科学にすればよいのである。

 分からない事柄があったら、まず類型化する。新聞記者とは何だろうかと考える。文章型と取材型がいる。どちらもうまい者は少ない。取材型は取材費がかかりすぎるので長続きしない。そういう人は社内出世コースに乗り、ヒラメ型になるだろう。この類型が分かれば、最近の新聞の取材力低下の理由が分かるというものである。


≪真の保守とは≫

 次の科学は伝統的な実証主義だ。関心事についていろいろと記録を集める。森友問題の財務省理財局の「改竄(かいざん)」がよく分からない。役所的には「書き換え」で、民間的には「改竄」だという人もいる。分からないので、文献学で考えてみる。「改竄」というのは「加筆・削除」のことだ。普通、最も古い時代の手書きの写本に、後の時代の人が手を加えて量が増えると思いがちだが逆である。むしろ時代が下るにつれて無駄が削られて少なくなるのである。

 座談会の録音起こしなど、はじめは全部記録して大量だが、それでは読み物にならない。編集しなければならない。そうするとまず削る。つまり話し言葉を書き言葉にする編集の始めから、「改竄」は起こってくるのである。森友問題の理財局「改竄」事件は、決裁前文書の編集に問題があったのではないか、と私には思われる。

 3番目の科学的方法は直観と超越である。相撲協会の親方はなぜ100人もいるのか。親方株が105あって、買えれば親方になれるらしい。現役引退後、親方株を買って部屋持ちの親方と部屋なしの親方になり、協会の仕事をして給料をもらう。何かヘンだ。経営と事業が分離していない。これができていないと、経営・財政をめぐって派閥闘争が起こる。ゆえに貴乃花は処分ではなく「粛清」であろう、などと考えるのである。

 ネットの登場で、近代の理念や普遍知信仰は崩れた。グローバリゼーションで世界はサバイバル状態になった。みんなが考えて国家と民族を強くしなければならない。ナショナリズムや右傾化やポピュリズムの問題ではないのである。近代は終わった。不合理なものは変えていこう。現代では国家と民族への所属意識を自己愛に優先させる者こそが、真の保守なのではあるまいか。