NAKAMOTO PERSONAL

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杉田玄白は「歯」が悩みだった

「食べることが好きだった杉田玄白は『歯』が悩みだった」(ダイヤモンド・オンライン)
 → http://diamond.jp/articles/-/163371

『解体新書』の翻訳、『蘭学事始』の著者として知られる杉田玄白。江戸時代にしては卓越した長寿者だった彼は、古希(70歳)を迎える前年「養生七不可」という健康長寿のためにしてはいけないことを子孫のために書き記している。いわく、


一、昨日の非は恨悔(こんかい)すべからず。
二、明日の是(ぜ)は慮念(りょねん)すべからず。
三、飲と食とは度を過すべからず。
四、正物に非れば苟しくも食すべからず。
五、事なき時は薬を服すべからず。
六、壮実を頼んで、房(ぼう)を過すべからず。
七、動作を勤めて安を好むべからず。


 昨日の失敗は悔やまず、明日のことは過度に心配しないこと。食べ過ぎ、飲み過ぎに注意して、変わった食べ物は食べないこと。何でもないのに薬は飲まず、元気だからと無理をしてはいけない。楽をせずに常に体を動かすこと──現代でも十分に通用する7ヵ条である。

 その食生活は簡素を旨とするものであった。生涯最後の著述となる『耄耋(ぼうてつ)独語』にこう書いている。自分は生来、健康で頑強な体であったわけではなく、養生を心がけたということもない。若いときには酒も少し飲んだが、中年を過ぎてからはあまり飲まなくなった。特別好みの食べ物もなく、ただそのときのおかずが1品か2品あれば満足してきた。近頃の普段の食事はだいたい女子1人前というには少し足りないくらい……。

 そして、玄白は老いの苦しみを書き綴る。多くの記述を割いているのは歯の悩みである。珍膳佳肴(かこう)、銘菓美味を食べ尽くしてきた身であってみれば、今さらこれといった望みのものはないけれど、歯がないと食べ物が口からこぼれてむさ苦しく、熱い物も食べられない。麺類などは食べやすいはずだが、少しずつ食べなければいけないのが気に入らない。魚も骨が面倒で、入れ歯を作ってみたが自然ではない……という記述が延々と続く。

 珍膳佳肴、銘菓美味を食べ尽くしてきたというあたり、〈おかずが1品か2品あれば満足してきた〉という割には、玄白は食べるのが好きだったのだろう。

 若いうちから歯のメンテナンスは特に気をつけたい。人間は長生きするようになったが、歯の寿命は昔のままだからだ。歯を失う原因は虫歯と歯周病。なかでも歯周病は糖尿病や心臓病と同じ生活習慣病に位置づけられている。成人の80パーセント前後が歯周病になっているというデータもあるが、歯を大事にすれば健康寿命を延ばすことに繋がる。

〈無益なる長命なり〉、『耄耋独語』の結びにはこんな言葉がある。人にとって長生きは無意味なのだろうか。

〈医事不如自然(医事は自然に如(し)かず)〉

 いや、玄白は最後の書にこの6文字を書き記している。人間による医事は自然に及ばない。希代の医師は長生きの末、真理ともいえる答えを得た。人生はあっというまに過ぎ去ってしまい、寿命は自然が決めることなのだろう。我々にできることは残された時間を大事に使っていくことだけだ。昨日の失敗は悔やまず、明日のことは心配しない。そんな風に生きた玄白が残した遺産は日本の近代医学の礎となった。


参考文献/『杉田玄白 晩年の世界――『鷧斎日録』を読む』松崎欣一著、『杉田玄白 (人物叢書)』片桐一男著
(小説家・料理人 樋口直哉

風雲児たち蘭学革命篇~』(NHK正月時代劇) http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/fuuunjitachi/


忘れた頃にやって来る寅彦先生。

「歯」

 話は変わるが、歯は「よわい」と読んで年齢を意味する。アラビア語でも sinn というのは歯を意味しまた年齢をも意味する。「シ」と「シン」と音の似ているのも妙である。とにかく歯は各個人にとってはそれぞれ年齢をはかる一つの尺度にはなるが、この尺度は同じく年を計る他の尺度と恐ろしくちぐはぐである。自分の知っている老人で七十余歳になってもほとんど完全に自分の歯を保有している人があるかと思うと四十歳で思い切りよく口腔の中を丸裸にしている人もある。頭を使う人は歯が悪くなると言って弁解するのは後者であり、意志の強さが歯に現われるというのは前者である。
 同じ歯の字が動詞になると「天下恥与之歯(てんかこれとともによわいするをはず)」におけるがごとく「肩をならべて仲間になる」という意味になる。歯がずらりと並んでいるようにならぶという譬喩(ひゆ)かと思われる。並んだ歯の一本がむしばみ腐蝕しはじめるとだんだんに隣の歯へ腐蝕が伝播して行くのを恐れるのであろう。しかし天下の歯がみんなむし歯になったらこんな言葉はもういらなくなる勘定であろう。
 歯の役目は食物を咀嚼し、敵にかみつき、パイプをくわえ、ラッパの口金をくちびるに押しつけるときの下敷きになる等のほかにもっともっと重大な仕事に関係している。それはわれわれの言語を組み立てている因子の中でも最も重要な子音のあるものの発音に必須な器械の一つとして役立つからである。これがないとあらゆる歯音(デンタル)が消滅して言語の成分はそれだけ貧弱になってしまうであろう。このように物を食うための器械としての歯や舌が同時に言語の器械として二重の役目をつとめているのは造化の妙用と言うか天然の経済というか考えてみると不思議なことである。動物の中でもたとえばこおろぎや蝉などでは発声器は栄養器官の入り口とは全然独立して別の体部に取り付けられてあるのである。だから人間でも脇腹か臍のへんに特別な発声器があってもいけない理由はないのであるが、実際はそんなむだをしないで酸素の取り入れ口、炭酸の吐き出し口としての気管の戸口へ簧(した)を取り付け、それを食道と並べて口腔に導き、そうして舌や歯に二役(ふたやく)掛け持ちをさせているのである。そうして口の上に陣取って食物の検査役をつとめる鼻までも徴発して言語係を兼務させいわゆる鼻音(ネーザル)の役を受け持たせているのである。造化の設計の巧妙さはこんなところにも歴然とうかがわれておもしろい。
 こおろぎやおけらのような虫の食道には横道に嗉嚢(そのう)のようなものが付属しているが、食道直下には「咀嚼胃(カウマーゲン)」と名づける袋があってその内側にキチン質でできた歯のようなものが数列縦に並んでいる。この「歯」で食物をつッつきまぜ返して消化液をほどよく混淆(こんこう)させるのだそうである。ここにも造化の妙機がある。またある虫ではこれに似たもので濾過器の役目をすることもあるらしい。
 もしかわれわれ人間の胃の中にもこんな歯があってくれたら、消化不良になる心配が減るかとも思われるが、造化はそんなぜいたくを許してくれない。そんな無稽(むけい)な夢を描かなくても、科学とその応用がもっと進歩すれば、生きた歯を保存することも今より容易になり、また義歯でも今のような不完全でやっかいなものでなくてもっと本物に近い役目をつとめるようなものができるかもしれない。しかし一つちょっと困ったことには若くて有為な科学者はたぶん入れ歯の改良などには痛切な興味を感じにくいであろうし、そのような興味を感じるような年配になると肝心の研究能力が衰退しているということになりそうである。
 年をとったら歯が抜けて堅いものが食えなくなるので、それでちょうどよいように消化器のほうも年を取っているのかもしれない。そう考えるとあまり完全な義歯を造るのも考えものであるかもしれない。そうだとすると、がたがたの穴のあいた入れ歯で事を足しておくのも、かえって造化の妙用に逆らわないゆえんであるかもしれないのである。下手な片手落ちの若返り法などを試みて造化に反抗するとどこかに思わぬ無理ができて、ぽきりと生命の屋台骨が折れるようなことがありはしないか。どうもそんな気がするのである。

── 寺田寅彦『寺田寅彦随筆集』