『12人の浮かれる男』
「【産経抄】3月17日」(産経新聞)
→ http://www.sankei.com/column/news/180317/clm1803170003-n1.html
17世紀末の米マサチューセッツ州セイラム村で始まった魔女裁判では、19人が処刑され、1人が拷問中に圧死し、5人が獄死したという。集団心理にとらわれ、感情が制御できなくなった群衆は、いくらでも残虐にも愚かにもなりうる。狂気は、日常から遠いところにあるものではない。
ある人物を魔女だと証明する方法は、いくつもあった。実態はなかろうと、もっともらしい告発者の証言があれば有罪とされた。手足を縛って重い石とともに水の中にほうり込むやり方では、浮いてくれば魔女の証明とされる。沈めば無実となるが死んでしまう。
作家の筒井康隆さんの戯曲に『12人の浮かれる男』がある。アリバイがあり、無罪が濃厚な被告の少年を「マスコミも注目している。無罪では面白くない」と12人の陪審員たちがよってたかって屁(へ)理屈をこね、有罪にしてしまう。
これはもちろん、米テレビドラマ・映画の名作『十二人の怒れる男』のストーリーを裏返したパロディーだが、今はとても笑えない。学校法人「森友学園」への国有地売却をめぐる一部野党やマスコミの追及手法は、集団リンチの様相であり、人権侵害ではないか。
安倍晋三首相と昭恵夫人に対し、ツイッターでこんな決めつけを投稿した野党議員らがいた。「明確なのは安倍夫妻の軽率な言動で、財務省近財局の職員が自殺までしたこと」「国会に出てきて証人喚問を受けなさい!それがせめてもの、犠牲になった方へのの(ママ)『お悔み』でしょうが!!」。
初めに有罪ありき、ということか。自死した人を政治利用し、臆測を確定事実であるかのように粉飾し、特定の人物をヒステリックに攻撃する。現代社会で、堂々と魔女裁判が進行していることに戦慄する。
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