NAKAMOTO PERSONAL

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チャーチルを「名宰相」たらしめた究極の選択

チャーチルを『名宰相』たらしめた究極の選択 アカデミー賞受賞作でも描かれた緊迫の1日」(東洋経済オンライン)
 → http://toyokeizai.net/articles/-/211598

平時には「イギリスの災難」とまで言われて忌み嫌われた政治家、ウィンストン・チャーチル。戦場でも経済運営でも歴史的な失敗を犯したこの男が、近現代史上「最も偉大なリーダー」として名を残した理由はただ一つ。絶体絶命と思われた戦局において、ナチスドイツと戦い抜く決断をしたからだ。
「第90回 アカデミー賞」にて、ゲイリー・オールドマン氏が主演男優賞、辻一弘氏が日本人初のメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞したことも記憶に新しい映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』。3月末公開予定の同作でも描かれた開戦前夜、緊迫の数日を現役イギリス外務大臣ボリス・ジョンソン氏が書いた『チャーチル・ファクター』より抜粋してお届けする。

 これからお話しするのは1940年5月28日の午後のことだ。

 当時、イギリスは深刻な危機であった。そのため、この日までの3日間ほぼ終日にわたり閣僚たちが顔を合わせていた。5月26日から始まったこの9回目の閣議でも、内閣そして世界が直面していた、国の存亡にかかわる問題への答えを見つけ出すことができないままでいた。


ヒトラーと取引すべきか、戦うべきか
 場所はかつてイギリス下院の中に存在していた一室。主要な出席者は、全部で7人、イギリスの戦時内閣のメンバーだ。

 議長は首相のウィンストン・チャーチル。その隣にはネヴィル・チェンバレン。襟の高いシャツを着て、頑固な、歯ブラシのような口ひげをたくわえたこの元首相は、チャーチルに失脚させられた男でもある。その評価が正しいか否かは別として、チェンバレンヒトラーの脅しを致命的に過小評価し、宥和策によりイギリスを窮地に追い込んだ人物と見なされていた。

 ハリファックス卿もいた。背が高くやせこけた外相で、生まれつき障害のある左手を黒い手袋で隠していた。チャーチルと折り合いが悪かった自由党の党首、アーチボルド・シンクレアもいた。チャーチルが最も激しく舌戦を繰り広げた労働党からはクレメント・アトリーとアーサー・グリーンウッドが代表としてその場にいた。そして官房長官エドワード・ブリッジズが議事録を取っていた。

 閣議に提出された問いは非常に単純なものだった。

 イギリスは戦うべきか? 敗色がますます濃くなるなか、若い英軍の兵士たちを死なせるのは妥当といえるか? イギリスはヒトラーと何らかの取引をすべきか? そうすれば、何百人、何千人もの人命を救えるかもしれない。

 ヒトラーと取引をした結果、イギリスが戦争から抜けることで戦争自体が実質的に終了するとすれば、世界中で何百万人もの命を救うことになるのではないか?

 当時のイギリスでは、ドイツとの「交渉」の開始を望む、真剣かつ有力な意見が出ていた。交渉開始を望む声があったのも無理はない。周辺国であるフランスの戦況は単に悪いどころではなく、ありえないほどに悪かった。状況が改善する望みのかけらもないほどだったのである。ドイツ軍はパリに向かって突進していた。フランスの防御をあまりにもやすやすと打ちのめすドイツ軍は並外れた士気と効率性を発揮し、まさに軍事的優勢民族であるかのようだった。

 イギリスの海外派遣軍は、イギリスとフランスを結ぶ海峡の港周辺の包囲地域で孤立していた。短期間反撃を試みたものの撃退され、フランス北部ダンケルクで撤退に向けて待機していた。もしヒトラーが配下の将軍たちの助言に耳を傾けていたら、この時点でイギリス軍を粉砕できていただろう。イギリスの戦闘部隊の大半を殺害するか捕獲し、反撃するための戦闘能力を奪うことも可能だった。

 5月28日時点で、イギリス軍の大部分が失われる可能性が大いにあったのだ。一般市民には知るよしもなかったが、将軍や政治家にはその可能性が見えていた。


孤立無援のイギリス
 当時、戦略上最も深刻だったのは、イギリスが孤立していたことだった。現実的に他国からの支援の見込みはなかった。少なくとも当面は絶望的といってよかった。

 イタリアはイギリスと敵対関係にあった。ファシスト党党首のムッソリーニヒトラーと「鋼鉄協約」を結んでいたが、ヒトラーの破竹の勢いを見て、ドイツ側について参戦することになる。

 ロシアはドイツとおぞましい独ソ不可侵条約モロトフ=リッベントロップ協定)を結び、ポーランドナチスと分割することで合意した。

 アメリカはもう欧州の戦争にはかかわりたくないという考えだった――当然のことだ。第一次世界大戦で5万6000人以上の兵士を失い、欧州をおそったスペイン風邪による死者を入れると10万人を超える犠牲者を出したのだから。アメリカは他人行儀な同情の言葉をつぶやくだけで、それ以上は何も提供していなかった。

 チャーチルはアメリカの参戦について希望的観測に満ちた弁舌をふるっていたが、アメリカが正義の味方として馳せ参じてくれそうな気配はまったくといっていいほどなかった。


ムッソリーニの背後に隠れるのは…
 戦争による悲しみを体験していない家庭はほとんどなかった。そんな国民に再び22年前の第一次世界大戦のような悲惨な体験を強いるのは正しいことなのか? 公正といえるのか? 何のための戦いなのか?

 閣議録によれば、会議の実質的な口火を切ったのはハリファックスで、真っ先に核心を突いてきた。彼は厚めのふちの丸めがね越しにこちらを見ながら、軽く握った右手を上げてこのように言ったことだろう。

イタリア大使館がメッセージを送ってきた。イタリアを仲介者としてイギリスがドイツとの調停を求めるときが来た」

 それは単なるムッソリーニからの提案ではなかった。ムッソリーニより立場が上の人物から送られたサインであった。ヒトラーの触覚がイギリスの官庁内を螺旋状に動き、下院の心臓部まで進入してきたのである。チャーチルは何が起きているかを完全に掌握していた。絶望に打ちひしがれたフランス首相が、ロンドンでハリファックスと昼食をともにしたばかりであるという情報も握っていた。

 当時のフランス首相、ポール・レノーは、自国がもはやドイツに対してなすすべがないことがわかっていた。自分がフランスの歴史のなかで最も悲惨な人物の一人として記憶されるようになるだろうと自覚していた。

 もしイギリスをヒトラーとの交渉に引っ張り出すことができたなら、この屈辱は自分だけのものではなくなり、多少は取り繕うことができるだろうとも考えた。とくに、フランスにとってより好都合な条件をドイツから引き出すことができるだろう、と。

 そう、これがイギリスへのメッセージの中身だった。イタリア人が伝え、フランス人が支持したこのメッセージの発信源はドイツの独裁者だった。メッセージはイギリスが分別ある判断をし、現実と折り合いをつけるよう求めていた。

 近年の説によれば、チャーチルはこのとき疲労の兆しを見せていた。65歳の首相は、ブランデーやリキュールで英気を養いつつ夜明けまで働き、省庁に電話をかけて書類や情報を求め、大部分の正気な男性たちが妻とベッドに入っている時間に会議を招集して、スタッフや将軍たちの不評を買っていた。

 チャーチルビクトリア朝エドワード朝風の奇妙な装いで、黒いチョッキ、金時計の鎖、黒と灰色の縞模様のスラックスを着けていた。チャーチルは青白くて不健康そうだったといわれているが、それも事実だろう。葉巻、ひざの上にこぼれた灰、一文字に結ばれた口から垂れているよだれ、も追加しておこう。


ハリファックス提案への拒否
 チャーチルがこの日の午後、閣僚にどのような姿で接したのか正確に知ることはできないが、おそらく次のような場面が展開されたのであろう。

 彼はハリファックスに、冗談ではないと言った。議事録によれば

“首相は、「フランスの目的がムッソリーニ氏を私たち同盟国側とヒトラーとの間の仲介役にすることであるのは明らかだ」と述べた。首相は「イギリスをこうした立場に置いてはいけない」と考えていた。”

 イタリアからの調停へのオファーなるものをイギリスが受け入れた瞬間、抗戦の原動力が失速してしまうことをチャーチルは察知していた。イギリスの頭上に白旗が目に見えないように揚がり、戦闘意欲が消失してしまうであろうことを。

 そこでチャーチルはハリファックスの提案に否と答えた。首相が国家の存続の危機について言葉を発したのである。これで十分と思われるかもしれない。そう、ほかの国であれば、この時点で議論は終わっていただろう。

 しかし、イギリス政府はそのようには機能しない。首相とは「同等な者のなかの首席」であり、相当程度、同僚たちの賛同が必要となる。

 閣議の議論の力学を理解するには、チャーチルの首相としての立場の弱さを思い起こす必要がある。


破天荒なチャーチルが首相になれた理由
 このときチャーチルは首相になって3週間もたっていなかった。テーブルを囲む閣僚たちの誰が本当の味方なのか、皆目不明だった。労働党のアトリーやグリーンウッドはおそらく支持してくれそうだった。自由党のシンクレアも同様だった。しかし、それだけでは決定的な支持にならない。保守党はある意味で議会最大の勢力であり、チャーチルが当てにしていたのも保守党であった。しかし当の保守党は、チャーチルについてまったく確信を持てないでいた。

 若き保守党議員として頭角を現した当時から、チャーチルは自分が属する政党を非難し、揶揄してきた。一度は保守党を捨てて自由党に行き、結局保守党に戻ってきたチャーチルを、無節操な日和見主義者として見る保守党議員は多くいた。つい数日前も、保守党の下院議員たちはチェンバレンが議場に入るや否や大きな声援を送る一方で、チャーチルが入ってくると黙り込んだ。チャーチルは今、強力な二人の保守党議員、つまり枢密院議長になっていたそのチェンバレンと、ハリファックスとともに席に着いていた。

 チェンバレンもハリファックスも、チャーチルと過去に衝突していた。両者ともに、チャーチルは爆発的なエネルギーを持つだけではなく、(二人からすれば)非合理的で、確実に危険な人物と思うだけの因縁があった。

 チェンバレンヒトラーに立ち向かうことに失敗したことを理由に、チャーチルは何カ月も何年にもわたり、彼に対して非情な振る舞いをし続けてきたことがある。また、財務相時代のチャーチルは、事業税を削減する計画をめぐって首相のチェンバレンを大いに悩ませた。チェンバレンは事業税削減によって保守党の地方政府の収入が不当に減らされると考えていた。

 ハリファックスのほうは、1930年代のインド総督時代に、インド独立に強硬に反対していたチャーチルから激しい攻撃を浴びていた。

 そして、あの憂鬱な5月の数日間、ハリファックスの政治的立ち位置における別の要素が、チャーチルに対して無言の権威を生み出していた。5月8日、多くの保守党議員がノルウェー作戦をめぐってチェンバレンへの支持を拒んだとき、チェンバレンは致命的な傷を被った。その年の4月、ドイツがノルウェーデンマークに攻撃を開始し、英仏の遠征軍が反撃したが、5月に撤退を余儀なくされた。このことをめぐって下院討論で与党保守党の議員から多数の反対・棄権票が出たことで、チェンバレンは辞任に追い込まれたのである。

 次期首相を決める5月9日の重要な会議で、去り行く首相が後任として選んだのはハリファックスだった。国王ジョージ6世もハリファックスを望んだ。労働党や上院で、とりわけ保守党下院議員たちの多くが彼を次の首相にしたがっていた。

 実際のところ、チャーチルが最終的に首相就任への最後の承認を取り付けた唯一の理由は、チェンバレンがハリファックスに首相の座を提供した後、不気味な2分間の沈黙があり、彼が辞退したからである。選挙では選ばれない上院議員として政府を指揮するのは難しいだろうという理由だけでなく、ハリファックス自身がはっきりとそう言ったように、後甲板を好き勝手に走りまわるチャーチルを制御できないと感じたからだ。


チャーチルvs.ハリファックス
 とはいえ、短期間でも国王が首相として選んだ人物にある種の信頼感が生まれるのはたしかだ。首相チャーチルは明らかに交渉開始には反対だったが、ハリファックスは議論の場に戻ってきた。しかしハリファックス案は、今から思えば恥ずべき内容であった。

 ハリファックスの主張の要点は、イギリスはヒトラーが望むイタリアとの交渉に応じるというものだった。その最初の一歩として、さまざまなイギリスの資産を放棄する。彼は特定こそしなかったが、マルタ、ジブラルタルスエズ運河の運営の一部を指していたと思われる。

 チャーチルを相手にこんな提案をするとは、大した度胸である。交渉によって侵略行為に報酬を与えるというのか? イギリスの財産を、あの滑稽な突き出したあごの軍人野郎で暴君のムッソリーニに与えるだって?

 チャーチルは反論を繰り返した。フランスはイギリスをヒトラーとの話し合いや降伏に向かう「危険な道」に向かわせようとしている。ドイツ人たちが一旦イギリスに侵攻を試み、失敗したらより有利な立場に立つだろうと。しかし、ハリファックスはこれに再度反論した。今のほうが好条件を得ることができる、フランスが戦争から撤退する前に、そしてドイツ空軍がやってきて、イギリスの飛行機工場を破壊してしまう前に交渉を開始するべきだ。

 ハリファックスは1937年、自らヒトラーに会いに行っていた。一度はヒトラーを誰かの下僕と間違えた(その点についてはむしろ称賛したい)が、ドイツ空軍最高司令官のヘルマン・ゲーリングと破廉恥なほど親密な間柄であったのは本当だ。

 しかし、彼がナチスドイツの一種の代弁者的な存在であったとか、敵を支持する人物であったなどと考えるのはばかげている。彼は彼で、チャーチルに負けないくらい愛国主義者だった。

 ハリファックスはイギリスを守り、帝国を保護し、人の命を救う方法があると考えた。彼だけがそう思っていたのではない。イギリスの支配階級は宥和政策支持者とナチス寄りの人間がうようよいた。というのが言い過ぎだとしても、少なくともあからさまにナチスに染まっている者たちがいた。

 緊迫した状況のなか、ハリファックスと首相チャーチルの間で議論が続いた。チャーチルはハリファックスに対し、ヒトラーとのいかなる交渉も、わが国を意のままにするためのヒトラーの罠であると述べた。ハリファックスはフランスの提案のどこがそんなに悪いのか理解できないと述べた。

 午後5時となり、ハリファックスは自分の提案のどこをどう読んでも最終的な降伏にはならないと言った。チャーチルは、交渉によってイギリスにまともな条件が与えられる可能性は1000分の1だと返した。


歴史を動かした「首相就任演説」
 にっちもさっちもいかなくなった。大部分の歴史家によれば、このときチャーチルが見事な手腕を見せた。会議を中断し、午後7時に再開すると告げたのである。そして、すべての省庁を代表する内閣閣僚全25人を初めて招集した。その大部分が首相としてのチャーチルが発する言葉を初めて聞くことになる。

 チャーチルはハリファックスを説得することができなかった。また、単純にハリファックスを粉砕する、あるいは無視することもできなかった。前日、外相ハリファックスは、チャーチルが「恐ろしいたわごと」を言っていると責め立てたばかりだった。もしハリファックスが辞任すれば、チャーチルの地位が弱体化する。戦争指導者としてのチャーチルの最初の取り組みは、勝利の栄冠を戴くには程遠かった。チャーチルが圧倒的な指導権を握ったノルウェーでの反撃作戦は大きな失敗だったのである。

 理性に訴えるやり方は実を結ばなかった。しかし聴衆が多いほど、雰囲気は熱狂的になる。チャーチルはここで感情に訴えた。全体閣議の開始前に、チャーチルはじつに驚くべき演説をした。小規模の会議では余儀なくされた知的な抑制のかけらも見られなかった。まさに「恐ろしいたわごと」が吐かれたのである。

 当時の様子を最もよく伝えているのは戦時経済相のヒュー・ダルトンによる日記だが、内容はまず信頼できるだろう。チャーチルは穏やかに演説を始めた。

私は自分が「あの男」(ヒトラー)と交渉に入ることが自分の責務かどうかについて、ここ数日間、熟考してきた。
しかし、いま平和を目指せば、戦い抜いた場合よりもよい条件をひきだすことができるという考えには根拠がないと思う。ドイツ人はイギリスの艦隊を要求するだろう、武装解除という名目で。海軍基地なども要求してくるだろう。
イギリスは奴隷国家になるだろう。モーズリーや同様の人物の下で、ヒトラーの傀儡となるイギリス政府が立ち上げられるだろう。そうなったら、われわれはどうなるか? しかし、われわれには巨大な備蓄や強みがある。

 チャーチルは演説をまるでシェークスピア劇のクライマックスの場面のように終えた。

私が一瞬でも交渉や降伏を考えたとしたら、諸君の一人ひとりが立ち上がり、私をこの地位から引きずり下ろすだろう。私はそう確信している。
この長い歴史を持つ私たちの島の歴史が遂に途絶えるのなら、それはわれわれ一人ひとりが、自らの流す血で喉を詰まらせながら地に倒れ伏すまで戦ってからのことである。


英国最高の指導者・チャーチル
 室内にいた男性たちはこの演説に非常に感動して喝采し、歓声を上げた。走り回って、チャーチルの背中を叩いた人物もいたという。チャーチルはこれでもかというほど議論を劇的に仕立てあげ、一人ひとりに訴えたのであった。

 ドイツとの交渉に応じるか否か。これは外交問題などではなかった。自分たちの国を守り通すか、あるいは自分の流した血にむせ返りながら死ぬかの選択だった。戦いの前夜であった。チャーチルは原始的な、部族的な方法で閣僚たちに訴えたのだった。戦時内閣が午後7時に閣議を開始すると、すでに議論は終わっていた。ハリファックスは議論を降りた。チャーチルが内閣から圧倒的な支持を得たからだ。

 イギリスは戦う。交渉はしない。その決断から1年以内に3万人に及ぶイギリス人男性、女性、子供たちが殺害された。ほとんど全員がドイツ人の手によって。屈辱的な和平か罪なきイギリス国民の大量殺戮かの選択肢を前に、「交渉をしない」という選択ができるチャーチルのような気骨ある政治家を現代において想像するのは難しい。

 しかし1940年においても、これほどの指導力を見せることができる人は考えうるかぎりほかにいなかった。

 ハリファックスよりも正しく事態を把握していたチャーチルは、交渉を拒絶することによってイギリスにも大量の戦死者が出ることを覚悟していた。戦い続けることは恐ろしい結果となるだろうが、降伏はさらに悪い結果をもたらすだろう。そのことを理解できるほど大きな、ほとんど無謀ともいえるような、道義心と勇気を彼は持っていた。チャーチルは正しかった。


ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』 http://www.churchill-movie.jp

Never give in. Never give in. Never, never, never, never - in nothing, great or small, large or petty - never give in, except to convictions of honour and good sense. Never yield to force. Never yield to the apparently overwhelming might of the enemy.

絶対に屈してはならない。
絶対に屈してはならない。
絶対に、絶対に、絶対にだ。
大事でも小事でも、今や何事にも屈してはならない。
名誉と良識による信念があるとき以外は。
いかなる力にも屈してはならない。
敵の戦力が圧倒的なことが明らかであっても決して屈してはならない。

── 1941年10月29日・ハロー校における卒業生に対するスピーチ

チャーチル名言録

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