先に逝った仲間の分まで戦う「登山家の生き方」
「【野口健の直球&曲球】先に逝った仲間の分まで戦う『登山家の生き方』」(産経新聞)
→ http://www.sankei.com/column/news/180308/clm1803080003-n1.html
山で仲間を失うたびに山が怖くなる。しばらく山から離れようとしたこともある。しかし、春になるとヒマラヤシーズンが始まる。日本にいながらにして「彼らはエベレストのベースキャンプを出発した頃だろうか」とリアルにイメージし、頭の中の巨大スクリーンに映し出されるヒマラヤの峰々。歩くときの「ハァハァ」という息遣いや「ザクザク、ザクザク」とアイゼンの爪を氷河に蹴り込みながら登っていく音までも頭の中をこだまする。
そんな時にふと感じてしまう。自分だけ安全な場所にいていいのだろうか。自分だけが逃げているのではないかと。山で仲間を失えば失った分だけ死に対する恐怖心が強まる。山を始めた頃は仲間の遭難死に取り乱し涙も流した。しかし今では「あいつも逝(い)ってしまったのか」と静かに氏の生き方に思いが向かう。そして失った分だけ感情が乾(かわ)き老け込んでいく。
同時に志半ばで逝った仲間の分まで生きなければならないとも感じる。僕ら山屋にとって「生きること」とは「山に登ること」なのだ。
日本を代表するクライマーである平出和也氏がパキスタンにあるシスパーレ峰(7611メートル)に4度目の挑戦で登頂。未踏ルートからの挑戦であり先日、その特集がテレビ放送された。前回は、谷口けいさんがパートナー。しかし条件が悪く撤退。けいさんとの再挑戦を誓ったが、けいさんは北海道の山で遭難。その再挑戦はかなわなかった。
彼は山頂アタックする際、けいさんの写真を内ポケットに忍ばせた。雪崩が次から次へと襲いかかる極めて危険な状態が続く。映像を眺めながら「この状態で本当に突っ込むのか。ギリギリの線を超えている」と感じていた。同時に「これはけいさんへの弔い合戦なのだろう」とも。
そしてつかんだ山頂。彼は静かにけいさんの写真を山頂に埋めた。命をかけ先に逝った仲間の分まで戦う平出氏の姿に改めて「登山家の生き方」をみた。今年もヒマラヤシーズンが始まろうとしている。また様々(さまざま)な人間ドラマが展開されるだろう。喜びも、そして悲しみも。
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