NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

「さよなら西部邁先生」

「『さよなら西部邁先生』最期の本を担当した編集者から想いを込めて~今でも先生の声が耳に残っています」(現代ビジネス)
 → http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54540

1月21日、自ら命を絶った思想家の西部邁氏。15年間、氏の担当を務めた編集者が、その想いを綴りました。

何度も怒られたけれど
西部邁先生との出会いは15年ほど前にさかのぼります。

鼎談本の編集を経て、2004年に先生の単著『学問』を初めて担当させていただきました。でも、それはその後、先生に怒られ続ける始まりでもありました。

この書籍のタイトルを「『学問のススム』でいかがでしょうか?」と提案したところ、

「馬鹿モン、ワシは言葉を間違えて使うことが大嫌いなんじゃ!」

と頭ごなしに怒鳴られましたね。

ここは負けてなるものかと、私も「「学問」を論じつつ、西部先生も尊敬する福沢諭吉翁の『学問のススメ』をもじった「学問のススム」という面白いタイトルは、先生の名前でなければできません。まさに千載一遇のチャンスです」

と反論をしたのですが、より一層激しく怒られ、肩を落としたことを昨日のことのように思い出します。

学問

学問


怒った先の笑顔
次作の『無念の戦後史』(2005年)は、なかなかタイトル案が思いつかず四苦八苦いたしました。

戦後史という大きなテーマと、前作での大喧嘩で、私はかなり腰が引けていました。

タイトルに関しては双方が一歩も譲らず、先生と私が睨み合ったままの、膠着状態の日々が続きました。

ところがある日、先生がポツリとおっしゃったのです。

「僕が風呂のなかで『ああ、無念、無念』と歌っていたところ、妻が『無念の戦後史』というタイトルでいいんじゃないの」と言うんだよ」。

無念の戦後史

無念の戦後史

タイトルがようやく決まって、ホッとしたのも束の間、

「初稿ゲラの戻しを10日間でさせるというのは、ひどいんじゃないの。あなたの進行が悪過ぎる」

とまたまたお叱りを受けてしまいました。

以来、酒場での振る舞いを叱られ、帯の惹句の納得のいかない箇所を叱られ、常に「馬鹿モン」の罵倒を浴びせられた編集者でございます。

では、なぜ、そんな怖い西部先生と私は15年もお仕事を続けられたのでしょうか。

それはですね……怒った後の西部先生の笑顔が抜群に良いのです。

にっこりと「ワシが怒る意味がわかるよな」という表情を浮かべるのです。

私はその表情に15年間、魅了されてきたと言ってもいいでしょう。


最期の書籍
期せずして、西部先生の最期の書籍となってしまった『保守の真髄──老酔狂で語る文明の紊乱』(講談社現代新書)は、中江兆民著『三酔人経綸問答』に着想を得たもので、もともとはサブタイトルの『老酔狂で語る文明の紊乱』こそが、先生が希望されるタイトル案でした。

現代新書編集長の「おそれながら『紊乱』という字が読めない人もいます(編集長自身も読めなかったようです)。『老酔狂』も意味がわかりにくいと思います。つまり、タイトルとしてストレートに読者に伝わらないのではないでしょうか」という懸念に対しても、「『紊乱』の紊とは文(ふみ、すなわち言葉)と糸(つむぐもの)で作られている言葉である。

その『紊』が乱れていることを、ワシは今の日本人に伝えたいんじゃ」と言葉に対する(相変わらずの)こだわりを語りつつ、老師・ニシベは一歩も譲りませんでした。

何度も話し合いを重ね、突然、先生がふと漏らした

「この本は、“保守の真髄”をワシが精魂込めて最期の本のつもりで書いたので、タイトルは絶対に変えたくない」

という言葉から、私がすかさず

「それでは『保守の真髄』を正式タイトルにして、『老酔狂…』は、サブではいかがでしょうか」

と申し上げたところ、

「うん、それならば良い」

とあっけない返事でした。その後は、にっこり、いつもの様に夜遅くまで酒杯を傾けられたものでした。

「最期の本のつもりで書いた」という先生のお言葉に、なにか覚悟のようなものを感じた私は、本の帯に「大思想家ニシベ 最期の書」という文言を使いたいと思いました。

数年前から打ち合わせのたびに、先生から自殺を仄めかされるようなお話を伺っていたので、先生は明らかに「最後」ではなく「最期」という意味で使っておられることがわかりました。

とはいえ、編集者の側から「最期」という言葉を提案するのは失礼かもしれない、きっと叱られるだろうと、おそるおそる電話を差し上げたところ、「うん、いやあ」と、実にあっさりとした返事でした。

「ワシはそんなことは気にしないよ」というニュアンスが先生の声に含まれていました。

嬉しくなった私は、思わず「先生、何度でも最期の本を出してくださいね」と申し上げたところ、「ありがとう」と大きな声で返してくださいました。


寒くありませんでしたか
2017年12月中旬に『保守の真髄──老酔狂で語る文明の紊乱』が刊行され、反響は大きかったのですが、連絡を差し上げるたびに先生の声が小さくなっていくような気がいたしました。

ある日、西部先生が遠くに思いを馳せるようにつぶやかれました。

「少し前に、唐牛健太郎君の奥さんのお見舞いに行ってきたんだ。奥さんは『唐牛が一番信頼していたのは、実は西部さんでした』と言うんだな」

唐牛夫人の真喜子さんは癌の末期症状で、先生が面会された時は、あと一週間もつかもたないかの状態だったそうです(2017年11月に逝去)。

そして西部先生はこうおっしゃいました。

「しかし、女性は強いね。死を生と同じように淡々と受けいれるんだ。男性はかなわない」

西部先生は、四年前に亡くなられた奥様のことを思い出されている……

先生御自身の死について深く洞察している……

さまざまな思いがグルグルと頭の中を巡りました。


本年1月21日。西部先生は自裁されました。

先生、寒くありませんでしたか。

今でも、先生の「ありがとう」の柔らかく強い声の響きが、耳に残っております。私こそ先生にご教授いただいた、すべての事柄に「ありがとうございました」と申し上げたい。

心からご冥福をお祈りいたします。