NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

昨夜は失敬いたしました


『投石事件』


「今晩もぶら下げっていやがる」
 石を投げつけるカチン!
「あ痛た 待て!――」
 お月様は地に飛び下りて追っかけてきた ぼくは 逃げた 垣を越え 花畠を横切り 小川をとび 一生懸命に逃げた 踏切をいま抜けようとする前をヒューと急行列車がうなりを立てて通った まごまごしているうちに うしろからグッとつかまえられた お月様はぼくの頭を電信柱の根元でガンといわした 気がつくと 畑の上に白い靄(もや)がうろついていた 遠くではシグナルの赤い目が泣いていた ぼくは立ち上がるなり頭の上を見て げんこを示したが お月様は知らん顔をしていた 家へ帰るとからだじゅうが痛み出して 熱が出た
 朝になって街が桃色になった頃 いい空気を吸おうと思って外へ出ると 四辻(よつつじ)のむこうから見覚えのある人が歩いてきた
「ごきぶんはどうですか 昨夜は失敬いたしました」
 とかれが云った
 たれかしらと考えながら家へ帰ってくると テーブルの上に薄荷水(はっかすい)が一びんのっていた

ではグッドナイト! お寝みなさい 今晩のあなたの夢はきっといつもと違うでしょう

── 稲垣足穂『一千一秒物語』

一千一秒物語

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一千一秒物語 (新潮文庫)

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