NAKAMOTO PERSONAL

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一日一言「天地の力」

十一月二十三日 天地の力


 今日は新嘗祭天皇が新米を天地の神に供え、自らもこれを食する祭事。今は勤労感謝の日となっている)で、新しくとれた米を神に捧げ、感謝する日である。われわれは、毎日三度いただく食事を当然のように考えて、米の一粒のうちにどんなに大きな神仏の恵みを受けているかを忘れている。天地の力はみな穀物にあり、点の恵み、地のたまもの、人の働き、国の恩など、あまりに多く忘れがちである

── 新渡戸稲造(『一日一言』)

勤労感謝の日。「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日。
本来は、秋の収穫を祝い感謝する新嘗祭である。


「【主張】勤労感謝の日 『互いに』の思いを大切に」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/171123/clm1711230002-n1.html

 「勤労感謝の日」を初めて迎えたのは昭和23年である。この年に制定された祝日法には「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう」とうたわれた。

 戦前の新嘗(にいなめ)祭に由来する日で、宮中では新嘗の祭儀が行われる。身を清めた天皇陛下が神々に新穀を供え、一年の収穫を感謝するとともに、自らも食することにより国に実りをもたらす力を得られるとされる。

 秋の収穫は朝廷ばかりか民間でも古くから祝われていた。実りへの感謝は、日本の歴史の中を連綿と継承されてきたのだ。民族の精神に思いを致す日でありたい。

 敗戦後の23年は、改善の兆しが見えつつあったとはいえ、庶民の食糧事情はまだまだ厳しかった。当時の「国民生活」世論調査では、都市住民の半数以上が「現在の配給主食では1カ月のうち10日くらい不足する」と答えている。そんな時代だったのだ。

 「食べられること」への感謝の気持ちは、豊かになった現在とは比べようもないほど強かったに違いない。どこの家庭の子供も「ご飯一粒でも残したらもったいない」と教えられたものである。

 感謝の思いは農業に従事する人だけでなく、農具の製造や農産物の運搬など直接目に触れることのない多くの人々の労働、さらには季節の巡りをもたらす自然の働きにも向けられたことだろう。

 農耕中心の日本では、互いへの思いやりが何より尊ばれてきた。他人の親切に「おかげさまで」と礼を述べると、「お互いさまですから」と返ってくる。まさに「人は互い」「相身互い」であり、「もちつもたれつ互いに寄らにゃ、人という字は立ちはせぬ」と俗にうたわれる通りである。

 祝日法の制定から69年の星霜を経て、勤労感謝の日は今年でちょうど70回目となる。「国民が互いに感謝しあう」美風は、今も変わらず生きているだろうか。

 残念な例がいくつも見られる。部下に過重な労働を強制したり、パワハラなどで人権を侵害したりといった行為は、周りの人の働きに対する感謝の気持ちがない証左である。日本のモノづくりを支える有名企業が不正に手を染めるのも、大多数の社員の勤勉な働きに思いが及ばないからである。

 真に実り豊かな国とは、誰もが互いに感謝しあえるような世を指し示すのではなかろうか。


福田恆存に曰く、

 戦後の祝日の名称はまつたくでたらめで、抽象的な浅薄さをもつてゐる。「成人の日」「春分」「秋分」「こどもの日」「文化の日」「勤労感謝の日」。かうしてみると、一目瞭然だが、新時代、新世代から、やれ、天皇制だ、旧思想だと文句をいはれぬことだけしか念頭にない消極的防御姿勢から出てゐるのである。

 私たちの春は分散してしまひ、宗教と習俗とは緊密な結びつきをもたず、今日では、正月がもつとも大きな国民的祭日となつてゐる。が、太陽暦の正月は、春の祝ひとして、年季のよみがへりとして、かならずしも適当な日ではない。正月をすぎて、私たちは古き年の王の死を、すなはち、厳冬を迎へるといふ矛盾を経験する。しかも、さういふ矛盾について、ひとびとは完全に無関心である。アスファルトやコンクリートで固められた都会的生活者にとって、古代の農耕民族とともに生きてゐた自然や季節は、なんの意味ももたないと思ひこんでゐる。文明開化の明治政府が、彼岸を秋分の皇霊祭としたのは、天皇制確立のためではあつたが、今日の似非ヒューマニストよりは、まだしも国民生活のなかに占める祭日の意義を知つてゐたのだ。ヒューマニストたちにとつては、雛祭も端午の節句も、季節とは無関係に、たゞ子供のきげんをとるための「子供の日」でしかない。つまり、レクリエイションなのである。が、雛祭より「子供の日」のはうがより文化的であり知的であると考へるいかなる理由もありはしない。が、私たちが、どれほど知的になり、開化の世界に棲んでゐようとも、自然を征服し、その支配から脱却しえたなどと思ひこんではならぬ。私たちが、社会的な不協和を感じるとき、そしてその調和を回復したいと欲するとき、同時に私たちは、おなじ不満と欲求とのなかで、無意識のうちに自然との結びつきを欲してゐるのではないか。

── 福田恆存『日本への遺言―福田恒存語録』