「トンデモ説」に殺されないために...
「『トンデモ説』に殺されないために全員が身につけるべき『武器』 医学のメリットを十分に享受するには」(現代ビジネス)
→ http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53067
正しく、納得いく判断ができるか
ひとは誰も健康でありたい、長生きしたいと思う。しかし、病気を完全に避けて生きていくことなど不可能だ。いざ病気になった時、医師を訪れて説明をうける。いまやインフォームドコンセントの時代である。治療法についての選択を迫られる。
はたして、きちんと病気のことを理解して正しい判断ができるだろうか。
そんなたいそうなことではなくとも、日頃から、健康に関連してのテレビ番組や雑誌記事、本などはよく目にする。優れたものもたくさんあるが、残念ながらクビをかしげたくなるようなものも結構ある。
どう考えても効きそうにない高価なサプリメントを買う人や、がんもどき理論のような「トンデモ説」を受け入れてしまう人がおられるのは、気の毒なことだ。
医学部で病理学――病気の原因や発生機序――について教えている。大学を卒業して40年近くになるが、その間の医学の進歩には本当には目を見張るものがあった。多くの疾患について、その発症メカニズムが分子レベルでわかるようになり、それに基づいて様々な治療法が開発されてきた。
まことにもって喜ばしいことだ。反面、そのぶん複雑になり、一般の人にはわかりにくくなってきているのも事実である。
医業を営んでいるわけではないペーパードクターなのだが、病気について相談を受けることがよくある。そんなとき、どうしてこんなに基本的な知識がないのだろう、どこから説明したらわかってもらえるのだろう、と思うことが多い。
しかし、考えてみればあたりまえかもしれない。世の中の大多数の人たちは、医学についての教育など受けていないのだ。生物学の知識にしたって、せいぜい高校で学んだレベルまで。それも、病気に関連したような内容などはほとんどない。
いざという時に、いかに正しく、納得いくように判断できるようになるか、そして、あやしげな健康情報に惑わされないためにはどうするか。
それには、結局のところ、正しく医学知識を理解し、それに基づいて判断する、医学リテラシーとでもいうべきものを身につけておくしかないのである。
言うのはたやすいが、実際にどうすればいいのか。医学系の大学や専門学校へ行けばいいのは間違いないが、そんな時間のある人はほとんどいないだろう。となると書籍で学ぶしかない。では、それに適した本があるかというと、あまり見当たらない。
医学用語を正しくイメージする
一般向けの病理学についての本を書きませんかとのお誘いをうけたのは、もう6年も前のこと。専門書しか書いたことがなかったので、はたしてできるかどうかわからないが、えいやっとお引き受けした。
ちょっとえらそうだが、ひとりでも多くの人に医学リテラシーを身につけてもらいたいというのが壮大な目的だ。しかし、書き始めていきなりわかったことは、難しい、ということであった。
当然のことながら、医学の世界では日常的に専門用語が使われている。そこで使われている言葉がわからないと、なかなか内容の説明が困難なのだ。一般の人がそういった用語を理解しておられるかというと、答えはノーだ。
それでも、そこをなんとかしなければ、それこそお話にならない。なので、執筆にあたって、まずは必要な医学用語を丁寧に説明することにした。
ある言葉、たとえば、がんでもいいし梗塞でもいい、について、きちんと理解し、正しいイメージを頭に思い浮かべることができる、それが医学リテラシーを身につける第一歩に違いないと考えたのだ。
専門用語を理解するなんて難しそうと思われるかもしれないが、決してそのようなことはない。ただ、とっつきが悪いのは間違いない。医学生たちも、病理学は難しいという。それは、なにも概念的な難しさではなく、初めて見る病気関連用語がたくさん出てくるから難しいような気がするだけなのだ。そこのところを混同してはならない。
確かに最初は聞き慣れない言葉ばかりだろう。しかし、医学で使われる論理などというものは、まったくもってたいしたことのないものばかりであって、気の利いた子どもなら小学校高学年くらいで十分に理解できる。その程度の理屈の上にある用語なのだから、筋道立てて説明を聞きさえすれば、必ずわかる。
たとえば、「血栓塞栓による虚血が脳梗塞を引き起こす」という文章は、なんともえらそうだ。
しかし、ひらたくいうと、「血の塊(=血栓)がどこからか流れてきて血管につまって(=塞栓)、脳に血液が十分にいかなくなって(=虚血)、脳の細胞がたくさん死んだ(=梗塞)状態になった」ということである。
このように、かっこ内に記した用語の意味さえわかっていたら、どうということはないのである。
代替医療と標準治療の決定的な違い
医学リテラシーを身につけるために、なにより重要なのは、まず、病気のことなんか難しくてわかりそうにない、などと思わないこと。いいかえれば、わかるはずだ、という気持ちになることだ。のんでかかったような気持ちで理解していくこと、まずはそれが肝要なのである。
という気持ちで書き上げたのが、『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)だ。これまでにないタイプの本だと自負はしていたが、それだけに、受け入れてもらえるかどうか不安があった。
が、自分で言うのもなんだが、発売すぐから驚くほどのスピードで売れている。もしかしたら、こういう本を待っている人がけっこうおられたのかもしれない。
400ページ弱の本なのですべての病気について書けた訳ではない。しかし、中でも特に力をいれて書いたのは、いまや日本における死因の1位、国民の半分が一生のうちに一度は罹るという「がん」についてである。
100ページにも満たない、がんについての基礎的な話の部分を読んでもらえたら、がんというのは、どういう病気なのか、が、おおよそわかってもらえるはずだ。
がんは、その発症に関係する遺伝子に変異が生じたたった1個の細胞にはじまる。その細胞に変異が次第に蓄積されることにより、文字通り「進化」し、無限の増殖力を獲得して、がんを発症する。
最終的には数個の変異が必要なのだが、現在では、それぞれの変異がもたらす悪い作用を抑える特異的な効果を持つ、副作用の少ない分子標的療法も開発されている。
ちょっとしたプリンシプルを理解しただけで、「がんもどき」などという考えが、がん研究における膨大な成果からいかに逸脱したものであるか、また、がんが食事やサプリメントだけでなくなることなどありえない、といったことがわかる。そして、現在おこなわれている、標準的ながん治療のバックグラウンドも理解できる。
最近、米国エール大学のチームが、がんの治療において、代替医療の死亡リスクが標準治療の2.5倍になるとの論文を発表した。ニュースでも報道されていたが、さもありなんというところだ。
代替医療に全く効果がないとは言わない。しかし、代替医療と標準治療の決定的な違いは、医学的な検証に耐えうるエビデンスの有無である。
代替医療では統計的に有意な差があるような研究がおこなわれていないことが多いので、どのような患者に効果があるのか、どのような率で効果があるのか、あるいは副作用がどの程度でるか、の客観的指標がよくわからない。
個人の選択といえばそれまでだが、きちんとしたデータのない治療に命を預けたりするのはあまりに危険だろう。
標準治療といえども100%の効果を約束するものではない。過去の研究および使用実績から、こういった状況であれば、何パーセントの率で、どれくらいの治療効果がある、ということが示されるだけだ。
もちろん、あくまでも統計値であるから、予想以上に効果があるケースもあれば、逆のケースもある。そして、悩ましいことに、自分がどのケースにあてはまるかは、やってみないとわからない。
こう考えてみると、インフォームドコンセントに基づいて判断するには、確率的な考えも重要だ。
これは相当に個人差が大きくて、効果のある率が低くてもつっこんでいきたい人もいれば、高くても副作用があるのはいやだという人もいるだろう。どちらが正しいというものではない。
結局のところ、しっかりした医学リテラシーを持った上で、自分の性格を見極めて決断するしかない。
病気になる前に…
病気になってからでも遅くはないが、できればその前から、医学リテラシーを身につけておくことが望ましい。さして難しいことではない。
まずは、病気に関するキーワードを、それに関係するいくつかのプリンシプルといっしょに頭にいれておけばいい。そうしておけば、ニュースなどでその用語を聞くたびに、自然とイメージが深まっていく。専門用語とはいえ、言葉というのはそういうものだ。
そうなれば、自然と批判的な態度が身について、怪しげな話には騙されなくなるだろう。そして、最後は自分自身を守ることになる。
それだけではない。あやしげな治療法に惑わされそうな知人がいたら、きちんとした言葉で話すことによって思いとどまらせることだってできるはずだ。
まともな治療法が少なかった時代は過去になった。医学は進歩し、我々が生きていく上において重要な科目になったということのだ。
本来ならば、中等教育あたりで病気についての基本的なコンセプトを教えるべきではないかと常々考えている。そうすれば、長期的には医療費の削減にもつながっていくだろう。
しかし、そんなものを待っていてはいつになるかわからない。まずは、自分自身で医学リテラシーを上げること。進歩した医学のメリットを十分に享受するにはそれしかないのである。
- 作者: 仲野徹
- 出版社/メーカー: 晶文社
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