NAKAMOTO PERSONAL

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科学らしく見えるものの危うさ

「シャリなし寿司は健康的か? 『糖質制限が日本人を救う』への疑問 科学らしく見えるものの危うさ」(現代ビジネス)
 → http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52704

ほんとうの情報はいったいどこにあるのだろう。

一昔前に比べると、情報へのアクセスは格段に楽になった。宇宙の不思議も深海の世界もネットにアクセスすれば一発である。

しかし言うまでもなく、アクセスの自由さと、正しさの度合いは比例しない。

イギリスのEU脱退、トランプ大統領の就任によって流行した言葉は、ポスト・トゥルースであった。事実よりも、個人の感情や信条が世論を形成する様を指す。

大量の情報の中で自分にとって心地よい、都合のいい情報をつなぎ合わせると、それらしいものが出来上がる。それらしいものと「ほんとう」を区別するのは思った以上に困難だ。

これは科学の世界でも同様である。昨年来のDeNAの医療サイト「WELQ」問題からも明らかなように、断片的な情報が、わかりやすく、心地よい形に継ぎあわされて拡散されると、科学的な裏付けのある情報に見えてくる。

医療の世界にもポスト・トゥルースは存在する。

私はこれまで糖質制限は人類の健康食であるという主張や、やせたいのならご飯を食べろといった主張を契機に、2回に渡り、すでに社会に定着した糖質制限という現象を分析してきた。

・ご飯はこうして「悪魔」になった〜大ブーム「糖質制限」を考える
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49908
・白米を食べるとやせる!? バブル期に誕生した真逆ダイエットとは
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50738

したがって第3回目は糖質制限における科学論文の使われ方という点に着目し、議論を展開したい。糖質制限ポスト・トゥルースはあるだろうか?


日本人への糖質制限の有効性は科学的に実証済み?

まずは下記の提言に目を通してほしい。日本人への糖質制限を強力に推奨する医師が一般向けに書いた本からの抜粋である。

2014年、私たちはエビデンスレベル1である無作為比較試験のデータを出し、日本人での糖質制限の有効性を示しました。 これによって2014年以降 は、日本でも糖質制限を批判することの根拠はなくなりました。
その上、2014年と2015年 には、エビデンスレベル2の観察研究で、 日本人では糖質摂取の少ない人のほうが糖尿病の発症が少なく、 死亡率が低いというデータが揃ってきています。従って、 現時点で日本人に対する糖質制限は、 エビデンスレベル1およびエビデンスレベル2で支持されているわけです。
これを批判することは科学的根拠を無視した医療、 すなわち非科学医療につながることでしょう。

エビデンス」とは科学的根拠のこと、一方「エビデンスレベル」とは根拠の度合いであり、1がもっとも信頼度が高いとされる。

つまり著者である医師は、もっとも信頼度の高い研究法において糖質制限の効果が確認され、さらにその次に信頼度の高い研究2つにおいても同様の結果がでたのだから、日本人に対する糖質制限の有効性を批判することは非科学的と言っているのである。

これを読んであなたはどう考えるだろう。日本人に対する糖質制限の有効性を批判するのは、科学のイロハを知らない素人という印象を持っただろうか。

結論から言おう。

いっけんきわめて冷静で論理的に見える氏の主張は、科学的とは言い難い。なぜならこの主張には科学論文の過剰な一般化が見られ、それをした結果、主張自体が非科学的になってしまっているからだ。

その行き過ぎた一般化が具体的にどのようであるかを示すため、ここでは、氏が同著のあとがきで再び強調する、【1エビデンスレベル1の研究での、日本人への糖質制限の有効性の確認】、および【2糖質摂取の少ない群での日本人の死亡率の低さの確認】について、その主張の根拠とされる論文に遡ってみたい。


言えることは糖尿病患者への6ヵ月の有効性のみ

まず、糖質制限の有効性が日本人に対して確認されたという主張?であるが、根拠となった研究に参加した被験者は24名の糖尿病患者であり、研究の期間は6ヵ月である。

つまりこの研究から示唆されたことは、糖尿病患者に対する糖質制限食の6ヵ月間の有効性であり、日本人全般への有効性ではない。しかし著書の副題に「日本人を救う革命的食事法」とあることからわかるように、氏は、糖尿病の患者に対して行われた研究の結果をあたかも日本人全体のことであるかのように拡大してしまっている2。

たこの研究一つで、すべての批判をシャットアウトできるかのような主張がなされていることも問題である。

いくらエビデンスレベルが高いと言っても、一つの研究からそれほど大きなことが言えるわけではない。どれだけ慎重にデザインされた研究であっても、その結果が偶然得られた可能性はぬぐいきれないからだ。

だからこそ現在の疫学統計では、その可能性を最大限小さくするためメタアナリシスという方法がとられる。これは類似した方法で行われた研究を複数集め、それらの結果を再統合して、どのようなことがいえるかを検証するやり方だ。

当然のことながら糖尿病でない日本人を対象にした糖質制限のメタアナリシスは行われていない。したがって研究一つで、糖尿病患者のみならず、日本人全体への有効性が証明されたと言い切ってしまう氏の解説は、いささか度が過ぎているといえるだろう。

実際の本文は「この状況を受けて」から始まっている。「この状況」とは、アメリカ糖尿病学会の食事療法のガイドラインが変わり、糖質制限が糖尿病治療の第1選択肢の1つであるとされたにもかかわらず、日本ではそれが受け入れられなかった状況を指す。つまり初めは糖尿病に限った話がなされていたのだが、その部分はぼやかされ、さらにその話が、日本人に対しての観察研究の結果と結び付けられることにより、糖質制限の日本人全体への有効性が科学的に判明したかのようなレトリックができあがっている。

一般人がおそらく最も気になる減量効果についてであるが、この研究においては糖質制限の方が、対照群であるカロリー制限より勝っていたという結果は得られていない。

メタアナリシスが行われたからといって、その結果がすぐに信用できるとも限らない。統合の際に選ばれた論文の質が低ければ、メタアナリシスの結果の信頼性も落ちてしまう。

もちろんメタアナリシスが行われず、一本の無作為比較試験が、ガイドラインにまで影響を及ぼすこともある。しかしそのような研究は参加国44ヵ国、参加施設数951、被験者2万人弱というよう超大規模な研究であり(例:Hart, 2013)[3]、参加者も参加施設も多様であるため、一般化できる可能性が大きい。対して氏が掲げる研究は単一施設で行われたものであり、一般化できる範囲はその分小さく、その一般化可能性は前者の研究と比較にならないことは言うまでもない。


「糖質摂取が少ないと死亡率も少ない」とも言い切れない

「糖質摂取が少ないと死亡率が低い」という主張?の根拠となった論文にも同様のことが言える。

まずひとつに、死亡率が低いという結果は女性に限ってみられたものであり、男性にはみられていない。しかし氏は、この結果を日本人全体への有効性の確認という形で拡大してしまっている。

さらに「女性で糖質摂取が少ないと死亡率が低い」という主張すら、この論文からはしにくいことも注意したい。

その理由は、死亡率が高いとされた女性グループの平均年齢が、1980年の調査開始時点で57.2歳であることだ。仮にこれを1人の女性であるとすると、彼女は、大正12年生まれ、青春時代は第2次世界大戦を経験し、終戦の少し前に二十歳を迎えた計算となる。

第2次世界大戦後の日本の食事情は、戦前とは激変している。この時代を生き抜いた女性の健康状態を、全く異なるライフスタイルを持つ現代の女性にそのまま適応し、「糖質をたくさん取ると死亡率が上がりますよ」と注意喚起するのは少々無理があるといえるだろう。

さらに「たくさん糖質を摂ると死亡率が上がる」と言われれば、大胆な糖質カットが必要な気がしてしまう。しかしこの研究から導かれているのは、そこまで極端な話ではそもそもない。

元のデータを見ると、死亡率が低いとされたグループは、1日の摂取カロリーのおよそ5割を糖質から摂取している。それに対し、現代女性の1日の糖質摂取量は総カロリーの約6割だ。

つまり平均的な糖質摂取をしている女性は、いま食べている量からほんの少しだけ糖質をカットすれば、この値を達成できるし、そもそもこの研究からは、糖質摂取が6割前後だと死亡率が高いという結果は得られていない。

したがって先に指摘した時代の影響などを無視して言明するのであれば、平均的な糖質摂取をしている女性は何もする必要はない、というのがこの研究から言えることだ。

加えて、この論文において死亡率が高いとされたグループは1日の7割以上のカロリーを糖質から摂っていることも注意したい。これだけの糖質を1日にとるためには、ざっと見積もってもご飯茶碗5杯以上5が必要だ。

これだけの糖質を日々摂取している女性がいまどれだけいるかがそもそも疑問であるが、この研究に従えば「あまり運動もせず1日ご飯茶碗5杯以上を食べる女性は少しご飯を減らしましょう」という提言のほうが適切と言えるだろう。

つまりこの研究は、1日の食事からほぼすべての糖質をカットしたり、一回の糖質摂取量を20グラムから40グラムに抑えたりといった、糖質制限派の医師が推奨する食事法の有効性を裏付けているわけではない。

論文が、大胆な糖質制限の有効性を主張する一般書に埋め込まれたことで、主張そのものに科学的裏付けがあるように見えていることがわかる。

1日の必要カロリーを1800kcalとし、ご飯茶碗1杯を140グラム=235kcalとして計算した

ご飯を食べると身体がけがれる?

ご飯を食べると身体がけがれた気がする
血糖値が上がるのが怖い
糖質を食べると許せない

これらはいずれも体型を気にする10代、20代の女性から発せられた言葉である。彼女たちの体型が肥満と縁遠いことは言うまでもない。

同じように、ネットでは寿司屋でシャリを残す女子の存在が物議を醸しだす。そこで紹介されるコメントは、「シャリを残すいちばん重要な理由が、体調管理です。シャリはお米ですから糖質がたっぷりと含まれているんです」、である。

そして先日、シャリなしの寿司を販売する回転寿司屋が登場した。もちろん病気でシャリを自由に食べられない人たちが、このメニューにより足を運べるならば素晴らしいことだろう。

しかしメニューの開発意図はそこにはない。記事によると女性を中心として健康意識の高い層に、糖質を気にせず食べてほしいメニューであるという。

日本は先進国では珍しく、若い女性のやせすぎが問題になる国である。体型を気にするやせ気味の女性が、「糖質は太る」、「糖質は身体に悪い」というメッセージを日々浴び続け、その結果、糖質に対して過度な恐怖感を抱くことの弊害はないのだろうか。

もともと糖尿病の治療に端を発した糖質制限は、このような形で、そことは遠く離れた人々にまで明らかな影響を及ぼしている。

ひるがえって、糖質制限派の主張は、とどまるどころかますます大胆になっている。日本人が糖質制限をすれば何千億もの医療費の削減になるであろうとか、低糖質のコメを開発すべきだとかいった主張までがなされるようになり、糖質制限に疑義を投げかける人々に対しては、科学を知らない、勉強不足と、容赦ない批判の言葉が投げかけられる。

しかし食は、人間の生き方や価値観、さらには環境との共生の在り方までが映し出される複合的なものである。人間の食のあり方を科学の言葉に還元し、そこからのみ絶対善を語ることは、そもそも人間の食の本質をないがしろにしているとは言えまいか。

現時点において、「人類の健康食」、「日本人を救う」というようなセンセーショナルな言明は、科学的事実の範疇を超えた、糖質制限ポスト・トゥルースということができるだろう。

「デブと病気に続く道」であるかのように語られる糖質摂取であるが、科学論文の過剰な一般化によって、その物語が作られている場合があることを覚えておきたい。

なぜふつうに食べられないのか: 拒食と過食の文化人類学

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