NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

本田宗一郎の夢

「【産経抄】世界の技術者を驚かせた『ホンダジェット』 本田宗一郎の夢 9月1日」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170901/clm1709010003-n1.html

 静岡県浜松市の練兵場で大正6年、「米国の鳥人」と呼ばれた飛行家、アート・スミスによる曲芸飛行大会が開かれた。10歳の少年は、親の目を盗んで金2銭を握りしめ、自転車で二十数キロ離れた会場に駆けつけた。初めて見る飛行機に大感激である。

 それからしばらく少年は、ボール紙で飛行メガネを作り、竹製のプロペラを自転車の前につけ乗り回していた。少年は長じて、小型飛行機の免許を取得して大空を舞うようになった。ホンダの創業者、故本田宗一郎さんである。まだ二輪メーカーの時代から、飛行機開発への意欲を語っていた。

 生前の本田さんは目にすることはできなかったものの、その夢はすでに実現している。7人乗りの小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」は、主翼の上部にエンジンを取り付ける奇抜な設計で世界の技術者を驚かせた。

 米子会社「ホンダ エアクラフト カンパニー」の藤野道格(みちまさ)社長が開発の中心となり、約30年の歳月をかけて完成にこぎつけた。燃費のよさなどが評価されて売れ行きは好調である。今年上半期の出荷数24機は世界トップだった。

 実はホンダジェットの開発は、社長を引退した本田さんには内緒で進められてきた。本人が知ったら、喜びのあまり誰かにしゃべってしまう可能性がある。何より研究の現場に乗り込んで、仕事を混乱させる事態を恐れた。

 事業化が決まって、藤野さんは本田さんの霊前に報告に行った。さち夫人がそのとき思いがけないことを口にする。「私は飛行機の免許を持っているんですよ」(『ホンダジェット前間孝則著)。日本では女性パイロットの草分けに近いのではないか。あらためて、企業のDNAについて考えさせられるエピソードである。


うちのHONDA!

ホンダは、夢と若さをもち、理論と時間とアイディアを尊重する会社だ。

とくに若さとは、「困難に立ち向かう意欲」と、「枠にとらわれずに新しい価値を生む知恵」であると思う。

── 本田宗一郎『本田宗一郎からの手紙』

ホンダジェット: 開発リーダーが語る30年の全軌跡

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定本 本田宗一郎伝―飽くなき挑戦 大いなる勇気

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得手に帆あげて 完全版

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