NAKAMOTO PERSONAL

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死についての「思想」を考える

「【正論】死についての『思想』を考える 京都大学名誉教授・加藤尚武」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170705/clm1707050005-n1.html

 死についてほぼ毎日、新しい書物が出版されている。私も『死を迎える心構え』(PHP研究所)を出したのだが、狙いは死についてのあらゆる思想を集めて要約することにある。


 ≪来世の存在かすべての終わりか≫

 人間は古今東西、概(おおむ)ね2つの型の思想を語ってきた。1つは死ぬことは体が分解してなくなることだという思想である。旧約聖書には「すべてのものは塵から出て、すべてのものは塵に帰る。誰が知ろう。人の子の霊は上にのぼり、獣の霊は地の下にくだるなどと」(伝道の書)と書かれている。

 同じことを中国の荘子(前4世紀)は「気が集合すれば生となるが、離散すれば死となる」(荘子・知北遊篇)と述べている。そこで私はこの塵が集まれば生となり、散れば死となるという考え方を「集散論」と呼ぶことにした。

 インドでは、アジタ・ケーサカンバリン(ブッダに先行する思想家)が集散論を唱えており、西洋ではエピクロス(前341~前270年)が「死とは無になることである。そのような経験は存在しない。死が存在するとき、われわれは存在しない、われわれが存在するとき、死は存在しない」と述べたことが、集散論と同じ「死は一回的である」という見方を示している。

 これに対して、天国、地獄などの「来世」のイメージを背景として、「死は来世への旅立ちである」という見方がある。

 結局、古今東西の死についての考え方は、2つしかない。

 1つは、死は来世への旅立ちであるという考え方である。現世と来世というイメージが背景になって、来世が無限に続く場合、来世が一回的である場合、直接天国に行ける場合、中間の逗留(とうりゅう)点がある場合などなど、さまざまのイメージが描き出される。

 もう1つの考え方は死はその人のすべての終わりである。生死の一回性という見方で、そのほとんどが「集散論」という形をとる。

 伝統的な思想がすべて来世型で、近代科学が普及すると生死の一回性という見方に変わっていくのではなくて、伝統的な思想のなかに両方の見方があるのだ。


 ≪共存する矛盾したイメージ≫

 この2つの見方には、共通の時間も空間もないのだから、全く異質の見方であるのに、多くの思想家は両方の側面を自分の心に取り入れている。たとえば、道元禅師の場合「身体が死んでも霊魂が生き残る」という考えでは「人家が火事で焼けても、家主は出て行くようなもの」で、これは間違いだと来世を否定している。

 他方、「三時業」という言葉で、現世の行為が現世に結果を及ぼす場合や、来世に結果を及ぼす場合、来来世に結果を及ぼす場合があるとみなしている。

 死生観は、概ね一回的生と反復的生(来世・輪廻(りんね))という矛盾したイメージの重なり合いとなっている。その矛盾が意識されることはない。心情的に破綻をきたすこともない。西洋ではプラトンが、身体が滅びても心は不滅という見方を強く打ち出して、その見方と整合するような宇宙像を作ろうとしたが、プラトンの弟子のアリストテレスが異議を唱えて以来、一回的生と反復的生(来世・輪廻)という思想に整合性をもたらすことには失敗している。

 世界には全く違ったものの見方があるので、自分とは違った見方に対しても寛容でなければならないというのは真実であるが、実際には、さほど大きな違いがない。

 違った宗教のなかにも、同じ型の考え方がある。世界中のさまざまな考え方について、どういう共通の型があるのか、違いはどの点にあるのかを明確にすることで、人類共通の見方があれば、それを明らかにすることが、これからの哲学では大事である。


 ≪世界共通の考え方を認識せよ≫

 明治期、日本の大学ではドイツの哲学を重視する政策をとった。それはドイツの哲学が英米の哲学よりも進歩していると考えたからである。つまり西洋哲学史の最先端がドイツ哲学だという見方を前提にしていた。第二次大戦後、英米哲学やフランスの現代哲学が重視されるようになった。そこに哲学の歴史の最先端があるという前提があった。哲学の授業が哲学史の授業になってしまった。

 インターネットで古い文献が発掘・公開されるようになると、今まで通用してきた哲学史の大枠が信用できないということが明らかになった。哲学史の研究は、きわめて高度な文献学の調査とならざるをえない。それは誰もが知ることを要求されるようなものではない。文献と文献の間の特殊な影響作用史とならざるをえない。

 哲学史の重箱の隅をつつくのではなくて、古今東西の共通思想の大筋を示すことが今、哲学に求められている。私はまず「死についての共通思想」を描き出してみた。武器を手に闘っている人々に「あなたがあなたの敵とどれくらい共通の思想を持っているか」を伝えたいが、共通の考え方が何であるか、普段からしっかりと認識しておくことが大事だと思う。