NAKAMOTO PERSONAL

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「正道」示した渡部昇一氏を悼む

「【正論】『正道』示した渡部昇一氏を悼む 忠君愛国の士と感じた 東京大学名誉教授・平川祐弘」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170627/clm1706270006-n1.html

「日本が人民民主主義国にならなかったことは僕らの生涯の幸福ですね」「近隣諸国が崩壊し、何十万の難民が舟で日本へ逃げてきたらどうします」「大陸へ強制送還するより仕方がない」。今春そんなテレビ対談をした。それが渡部昇一氏との永の別れとなった。


≪武骨なオピニオン・リーダーに≫

 氏は極貧の学生生活を送った人だが、正直で明るい。86歳になっても書生の初々しさがあった。

 大学生だった昭和20年代、朝日新聞岩波書店にリードされた論壇は資本主義は邪道で社会主義が正道であると説いていた。共産党野坂参三皇居前広場を埋め尽くしたデモ隊に向かい、「第一次大戦のあとソ連が生まれ、人類の6分の1が社会主義になった。第二次大戦のあと人民中国が生まれ、人類の3分の1が社会主義になった。この次の革命の際は…」とアジった。

 あのころ講和をめぐる論戦が『文芸春秋』誌上で交わされた。全面講和論とはソ連圏諸国とも講和せよ、という一見理想主義的、その実は容共左翼の平和主義的主張で、私は南原繁東大総長のそんな言い分が正しかろうと勝手に思い込んでいた。それに対し米国中心の自由陣営との講和を優先する吉田茂首相を支持したのが慶應小泉信三塾長で、朝鮮半島で激戦が続き米ソの話し合いがつかぬ以上、全面講和の機会を待つことは日本がこのまま独立できずにいることだ。それでよいか、という。その小泉氏に上智の学生だった渡部氏は賛意の手紙を書いた。すると小泉氏から返事が来たという。

 ところが西洋には言語を意思伝達の道具としか考えない一派があり、米国の学術誌が渡部氏を非難し、私が氏のために英文で弁じたことがある。渡部氏は皇統百二十五代が日本の誇りである所以を説く。その男系の歴史を踏まえ、拙速な女性天皇容認論を排する。雅子妃の「適応障害」でも皇室の本質から論点を指摘する。その時はこれぞ忠君愛国の士と感じた。


≪冷笑するような御厨氏の記述≫

 今回の天皇の公務軽減の有識者会議に氏は病身をおし松葉づえをついて出席、摂政を置かれることを提言した。今の天皇様はもう十分外回りのおつとめは果たされた。これからはご在位のまままず祭事(まつりごと)のおつとめをお果たしください、というのが私どもの意見である。杉浦重剛が若き日の昭和天皇に講義した『倫理御進講草案』にも「神事を先にし、他事を後にす」とある。この優先順位の提言が間違いとは思えない。この主張のインパクトが大きかったのは筋が通っていたからではないか。

 有識者会議の論点は当初は「譲位か、ご在位のままお休みいただくか」であった。それが整理の過程で「譲位は一代限りか、恒久的にすべきか」に替わり、ある意味で予想通りの、特例法の制定により今回決着をみた。すると御厨貴氏が『文芸春秋』7月号に退位に反対した渡部昇一氏、櫻井よしこ氏、平川を冷笑するような「『天皇退位』有識者会議の内実」を書いた。

 私に関しての記述はおぼえのない発言が書いてある。速記録もあるのだから確認できるはずだ。座長代理ともあろう人がこんな失礼なオーラル・ストーリーを拵(こしら)えるのか。だが同じ調子で渡部氏も悪く書かれたのだとするなら故人に気の毒だ。

 陛下のご意向なるものが新聞の1面に出る。翌日、宮内庁が否定するがテレビでは田原総一朗氏がとりあげる。こんなリークの繰り返しが続くマスコミ文化に、わが皇室も侵されてゆくのだろうか。