NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

学生たちには現場を、

「【直球&曲球】野口健 学生たちには現場を体験してほしい」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170601/clm1706010004-n1.html

 富士山やエベレストでの清掃活動、戦没者の遺骨収集、被災地での支援活動、それ以外にもさまざまな活動を行っている。活動範囲があまりに広がり、最近自分が「何屋さんなのか」分からない。10年前から事細かく綿密に計画し一つ一つ形にしてきたわけではない。一つの活動の中から次へと繋(つな)がっていくのだ。

 どの活動にも共通するのは一旦(いったん)始まれば、トコトン続くということ。例えば富士山の清掃はゴミを拾うだけでは根本的な解決にはならない。現場で感じるのは富士山を守っていく「仕組み」の必要性だ。入山規制なのか、入山料の徴収なのか。行政や政治家に働きかけることも多い。

 全国さまざまな団体から「一緒にゴミを拾いませんか」とラブコールが来る。ゴミを拾うのが僕の趣味ってわけでもないが、ゴミ拾いから見えてくる社会がある。「ひろえば街が好きになる運動」というキャンペーンで10年ほどかけてほぼ全都道府県の街で清掃活動に参加したが、キレイな商店街は地元の方々がさまざまな取り組みを行っている。かつてゴミが多かった場所にお花を植えたり、定期的に清掃活動を行ったり。

 逆にゴミだらけで、路地裏に注射器が落ちているようなすさんだ商店街もある。キレイな街は空間の気がすがすがしい。荒れた街の気はどんよりと枯れている。人々の表情もその「枯れた気」にのみ込まれてしまったか、やはりドヨーンとしている。

 そういう地域は治安も悪い。人々がすさんでいるからゴミが増えるのか、ゴミに汚された環境の中で生活しているうちに人の心がすさんでいくのか。

 4年前から母校の亜細亜大学客員教授を務めている。毎年、学生たちと富士山の清掃活動を続けている。ゴミを拾うだけではなく、どうすれば富士山を守っていけるのか、学生と数カ月間かけ、案を出し合いながらリポートを作成。最終的には政策提言として山梨県や関係市町村に提出している。

 学生たちには現場を体験してほしい。その上で社会に対し何ができるのかアクションを起こしてほしいと思う。