NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

藻岩山

「【直球&曲球】野口健 小さなミスにビビり屋さんでいたい」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170504/clm1705040004-n1.html

 人間が抱く危機感はそう長く続かない。そしてすぐに忘れる。いや「忘れる」というよりも「忘れたい」のかもしれない。例えば、この国で生きていく以上、誰もが震災に関し、どこかで潜在的におびえている。ではどうすればいいのか。考えれば考えるだけ憂鬱になる。そして、「自分だけは大丈夫だろう」と結論づけたくなる。

 登山家という職業柄なのか、多くの仲間の死を経験したためか、最悪の事態を常にイメージする癖がある。山に挑戦する前も悪天候で身動きがとれなくなった自分。酸素ボンベや食料が足りなくなり山頂を目前に撤退を余儀なくされてしまう自分。そんな事態をリアルにイメージし、不安に襲われる。だからエベレストに挑戦するときは酸素ボンベなどを多めに用意し、いつも予算オーバー。

 山登りの時だけならまだしも、講演会などのスケジュールに対して「ダブルブッキングしていないか」「この時間の飛行機で本当に会場に間に合うのか」などとスタッフに何度も尋ね困らせている。スタッフからも「心配し過ぎじゃないですか」とよく指摘される。出張などで家に帰れない時には家人に「ちゃんと戸締まりしているか」と何度も連絡をしてしまい、娘が出かけるときには玄関先で「道を渡るときは右見て左を見て、ついでに後ろも確認すること」と。「ハイハイ、もう分かっているから。大丈夫だから」とうるさがられる。

 活動を共にしている仲間からも「健さんはビビり屋さんだよね」とばかにされる。

 小さなミスというものはその一つ一つを微々たるものと感じてしまう。大事故や大遭難の原因をたどっていくと「小さなミスの積み重ね」が引き起こしていることが実に多いのだ。

 どんなに気をつけても時に人は山で遭難する。最大限、気をつけた上での遭難ならば納得もいくかもしれないが、手を抜いた結果の遭難なら薄れゆく意識の中で最後に残されるのは無念だろう。人は一度しか死ねない。やり直しがきかないのだ。ならばどんなにばかにされようが最後までビビり屋さんでいたい。


仕事帰りに藻岩山。