NAKAMOTO PERSONAL

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「コミュ力」という妖怪

「【正論】万能薬のように徘徊する『コミュ力』という妖怪 『近代型能力』あってこそ 社会学者、関西大学東京センター長・竹内洋」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170403/clm1704030005-n1.html

 「コミュ力」という言葉が飛び交っている。コミュ力が「高い」とか「低い」とかいわれる。コミュニケーション(意思疎通)能力のことである。「コミュ障」(他人との会話が苦痛で苦手)という言葉さえある。コミュ力を高めるための小学生対象のコミュニケーション塾や大人相手のコミュニケーション開発講座などもある。


≪「ポスト近代」のキーワードに≫

 「巧言令色鮮(すくな)し仁」や「沈黙は金、雄弁は銀」などの言葉を耳にし、「沈思黙考」をよしとした世代には時代の変わり様が大きい。

 そもそも以心伝心で成り立ってきた日本社会ではコミュニケーションに該当する日本語がなかった。だからマス・コミュニケーションのようにカタカナ使用だったが、日常用語としては今ほど使用されてこなかった。

 ところが近年は、コミュニケーションが「コミュ」と略され、さらに「コミュ力」が生きる術(すべ)の要のように使用されている。「現代日本に妖怪が徘徊(はいかい)している。コミュ力という妖怪が」とでもいいたいほどである。

 コミュ力が言われだしたのは、知識量や従順、勤勉などの「近代型能力」に対して、これからは創造性や能動性、交渉力などの「ポスト近代型能力」が必要だとされ出したあたりからである。たしかにコミュ力は、サービス労働が主流となり、物を相手にした肉体労働よりも人間を相手にした感情労働の時代になったことと関連している。また変化が激しい流動的社会において、すばやく対応する能力が必要ということにも関連しているだろう。

 そうしたことから、企業でもコミュニケーション能力が重視されることになった。学校教育においても、知識量や努力を重視する「旧い学力」(近代型能力)にかわって「新しい学力」(ポスト近代型能力)が目標とされるようになり、「コミュニケーション能力」が、その柱のひとつになった。こうみてくると、「コミュ力」が時代のキーワードになるのも当然といえるかもしれない。


≪誰でも開発できる万能薬か≫

 しかし、コミュ力という用語がこうも跋扈(ばっこ)するのはそれだけの理由ではないように思える。たしかにコミュ力はポスト近代型能力のひとつなのだが、あくまでひとつにすぎない。創造力や能動性などよりも、突出してコミュ力が関心の的になるのはどうしてかを考えるべきであろう。

 ポスト近代型能力の創造性や能動性などは、近代型能力の受動的な知識量や勤勉とは違って抽象的である。それらが指し示すものがわかりにくい。だからどのようにすれば、どこまで到達するかが明確ではない。そこでコミュ力がなんでも入る、ずだ袋のようなものとなり、万能薬のように闊歩(かっぽ)するのではないだろうか。創造力といわず、コミュ力といえば、誰でも開発できそうだ。そんなことから、食いつきがよいものになる。

 さらに言えば、学校で「腕力」がスクール・カーストの決め手にならなくなったこととも関係している。いまや腕力にかわって、コミュ力による「話し上手」がスクール・カーストの切り札になった。いじめにあわないために空手を習うのではなく、コミュ力を磨かなければいけないという雰囲気になった。こういう変化も関連している。


≪言葉の雰囲気に惑わされるな≫

 しかし、コミュ力という言葉のとっつきやすさと万能薬的な受け止め方には問題がある。そんなことを考えていたときに、面白い本に出合った。

 いまの日本はお笑いタレントが無双化する「芸人万能社会」となっていることを指摘した本である。そうなる理由に、人々が「コミュニケーション(能力)を過剰に意識する」ことが挙げられている。つまり芸人が「コミュ力」や「空気読み」の「お手本」になっているからだという(太田省一『芸人最強社会ニッポン』)。たしかに今時の大学生は、テレビに出ている芸人そっくりのしゃべり方をする。コミュ力至上(と考える)社会のなせるわざであろう。

 しかしどうだろうか。われわれが目にする芸人のコミュニケーションは、バラエティーなどの虚構の世界のコミュニケーションである。だから「盛る」ことも「嘘をつく」ことも芸のうちである。このようなコミュ力をそのまま堅気の実生活に持ち込めないだろう。持ち込めば、「舌先三寸」とか「調子のよい奴(やつ)」とされ、信頼や信用を失うのは目に見えている。

 翻って、コミュ力の「模範」とされる芸人の実生活(舞台裏)を考えてもみよう。舞台裏では、芸を真剣に磨いている。創造性や能動性などのポスト近代型能力はもとより、知識や勤勉、努力などの近代型能力もあだやおろそかにしていない。昔気質(かたぎ)を思わせるほどの律義さをもって人間関係にも気をつかっているはず。そうでなければ一発屋で終わるだろう。

 水面を優雅に泳ぐ白鳥は水面下では必死に水をかいているということだ。コミュ力という言葉の雰囲気に惑わされてはいけない。


水面を優雅に泳ぐ白鳥は水面下では必死に水をかいている」ことを忘れてはならない。