NAKAMOTO PERSONAL

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吉田松陰

「松陰形見の短刀 米個人宅で発見、140年ぶり里帰り」(毎日新聞
 → http://mainichi.jp/articles/20170329/k00/00e/040/251000c

 前橋市は28日、米国の個人宅に長年保管されていた短刀が、幕末の思想家、吉田松陰(1830~1859年)の形見の品と確認したと発表した。妹の寿(ひさ)が、生糸輸出のため米国に旅立つ実業家に託したものという。鑑定した市の担当者は「松陰の刀剣類が発見されたのは初めて。松陰の志のこもった短刀が約140年ぶりに日本に戻ってきた」と話している。

 市によると、短刀は長さ約42センチ。柄(つか)に獅子の金細工が施され、鞘(さや)にはボタンの花が描かれている。刀身(約31センチ)は室町時代に造られた槍(やり)を改造したものとみられる。

 松陰死後の1876(明治9)年、群馬の実業家、新井領一郎が米国出発にあたり、松陰と同郷で初代群馬県令(知事)の楫取素彦(かとり・もとひこ)にあいさつに行った際、楫取の妻、寿から託されたという。2015年に、米カリフォルニア州在住の領一郎のひ孫宅の地下室で発見され、寄託を受けた前橋市が鑑定を進めてきた。

 松陰の短刀と判定した根拠は、領一郎の孫で元駐日米大使ライシャワーの妻ハルの著書「絹と武士」の記述。祖母である領一郎の妻に短刀を見せてもらった際、寿が「この品には兄の魂が込められている。その魂は、兄の夢であった太平洋を越えることによってのみ、安らかに眠ることができる」と語っていたことを聞いたエピソードが記されている。

 形状の記述もほぼ一致していたが、刀には刀匠「国益(くにます)」の文字が刻まれていたのに対し、ハルの著書では「国富」とあり、食い違いがあった。市は「勘違いだろう」と推測する。

 短刀は30日に東京の松陰神社で霊前に供えた後、31日~5月7日、前橋文学館(前橋市)で一般公開される。

松陰神社』 http://www.shoinjinja.org 
『前橋文学館』 http://www.maebashibungakukan.jp

 彼は多くの企謀を有し、一の成功あらざりき。彼の歴史は蹉跌の歴史なり。彼の一代は失敗の一代なり。然りといえども彼は維新革命における、一箇の革命的急先鋒なり。もし維新革命にして云うべくんば、彼もまた伝えざるべからず。彼はあたかも難産したる母の如し。自ら死せりといえども、その赤児は成育せり、長大となれり。彼れ豈(あ)に伝うべからざらんや。

── 徳富蘇峰(『吉田松陰』)

吉田松陰 (岩波文庫)

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