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NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

見義不為、無勇也。

机の前の日めくり論語

今日は7日。


おそらく多くの人がそうであるように、論語で最も好きな言葉の一つ。

 勇気は、義のために行われるのでなければ、徳の中に数えられるにほとんど値しない。孔子は『論語』において、その常用の論法に従い消極的に勇の定義を下して、「義を見てなさざるは勇なきなり」と説いた。この格言を積極的に言い直せば、「勇とは義(ただ)しき事をなすことなり」である。

── 新渡戸稲造『武士道』

義を見て為さざるは勇無きなり

子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不為、無勇也。

「子曰(のたま)わく、其の鬼(き)に非(あら)ずして之(これ)を祭(まつ)るは、諂(へつらい)なり。義を見て為さざるは、勇無きなり」

── 爲政第二

神ならぬ神を祭りて諂ふは義なく勇なき人と君知れ

人として、当然なさねばならぬ正義と知りながら、他人の前を憚(はばか)り、自分の利害のみをはかって、実行しないのは、真の勇気がないからである。

『會津藩校日新館』 http://www.nisshinkan.jp/


軽挙妄動を戒める、穂積重遠氏の解釈。

 「義を見てせざるは勇なきなり」は、真にわれわれ道徳上の臆病者を奮起せしめるに足る名言だが、同時にしばしば濫用されて軽挙妄動のキッカケになる言葉でもある。要は眼前の事柄が義なりや否やの判断である。

── 穂積重遠(『新訳論語』


翁に曰く、

五・一五、二・二六両事件の青年将校は、まじめと正義の権化だった。話せばわかるまあ坐れと犬養毅は言ったが、問答は無用だ撃てと命じてなお正義だった。

── 山本夏彦

新訳論語 (講談社学術文庫 549)

新訳論語 (講談社学術文庫 549)