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NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

明治150年

「【正論】今年は『明治150年』 建国の理念をつかみ再認識する大切さ 埼玉大学名誉教授・長谷川三千子」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170228/clm1702280006-n1.html

 戦後はじめて「建国記念の日」が祝われたのが昭和42年。ちょうど50年にあたる今年も、例年通りの記念行事が各地で行われました。片方では奉祝の式典、他方では反対集会が開かれる、という形も今やすっかりおなじみです。

 普通なら、その国の建国記念の当日に全国各地で反対集会が開かれるなどというのは、よほど深刻な国内分裂を抱えた国、ということになるはずですが、わが国では毎年ごく平穏に、建国記念の祝典と反対集会とがともども催される。そしてこの奇妙な平和共存のなかで、そもそも「建国記念」とはいかなることなのか、という肝心のことは問われぬままになってきたのです。


≪重要なのは「史実」か否かではない≫

 実際、この記念日を定めた法律自体、この日をただ「建国をしのび、国を愛する心を養う」日であるとしか説明していません。いったい建国をどうしのんだらよいのか-その答えは各人が見つけなければならないというわけです。

 「建国記念の日」に反対する人々がよく口にするのが、この日は「神話」に基づいて定められており、「史実」に基づいていないからけしからん、ということです。

 確かに世界の国々を見渡してみると、植民地からの独立や革命の日建国記念の日としているところが多い。古くても18世紀の出来事ですから、歴史上の日付もはっきり確かめられる。これに対して、日本や韓国のように神話に基づく建国記念日を持つ国では、それと同様にはいきません。

 しかし、実は本当に重要なのは「史実」か否かではないのです。たとえばアメリカの建国を祝う7月4日の「独立記念日」は独立が成立した日ではない。「独立宣言」に署名がなされた日にすぎません。つまり重要なのは、そこで語られている理念なのです。だからこそ人々は、その理念が宣言された日を「独立記念日」と呼び、建国記念の日として祝うのです。


≪国民の利益になることが核心だ≫

 では、わが国の建国の理念はどのようなものなのでしょうか?

 わが国の建国記念の日は『日本書紀』巻第三、神武天皇の建国の詔に基づいて定められています。この巻はいわゆる「神代」の記述のすぐ次にあたっていて、確かに神話と直結しています。しかし『日本書紀』の特色は、神話の記録と政治的理念・理想とが織りなされているところにある。この「建国の詔」はまさにその典型的な一例なのです。

 国家統一をなしとげ、橿原(かしはら)に都を造ろうと宣言するこの詔の核心をなす理念を表しているのが「苟(いやしく)も民に利(かが)有らば」の一言です。山林を切り開いて都を造り、新たに法を整備するという大胆な新事業へと神武天皇をかりたてているのは、何であれ国民の利益になることなら断行すべきである、という考えなのです。

 このような〈民のための政治〉という理念は中国古典に学んだものとも言えます。ただしそれは単なる輸入概念ではなく、わが国の神話と融合して、完全に古代日本人の血肉となっていた。それをうかがわせるのが「おおみたから」という言葉です。『日本書紀』でも『古事記』でも、人民は「おおみたから」と呼ばれています。

 これは、代々の天皇は祖先である神々から最も大切な大御宝(おおみたから)として人民を預かっている。だから何をおいても〈民のための政治〉をしなければならない、という思想を担った言葉なのです(これが今も脈々と引き継がれていることは、昨年8月の陛下の「お言葉」にうかがわれる通りです)。


≪進取の気性が維新を支えた≫

 しかもこの「建国の詔」に見る通り、これは決して消極的な後ろ向きの理念ではなく、常に大胆な進取の気性と組み合わさっている。だからこそ、あの明治維新という大転換の時期に、わが国の建国の理念は、それを支える柱となりえたのです。

 たとえば慶応3年の「王政復古の大号令」は「諸事神武創業之始ニ原(もとづ)キ」改革を進めるべし、と述べた上で、「民ハ王者之大宝」であるから、近年の物価高騰と貧富の格差増大はきわめて憂慮すべき事態であり、有効な対策案を募る、と呼びかけています。わが国の建国の理念がまっすぐに引き継がれていることが分かります。

 さらには明治9年の国憲起草の詔に「我建国ノ体ニ基キ広ク海外各国ノ成法ヲ斟酌(しんしゃく)シ」とあるのも、近代西洋の立憲主義・民主主義を「我建国ノ体」と対立させているのではない。それらが本当に〈民のための政治〉を目指すものである限り、「海外各国ノ成法」も「我建国ノ体」にかなうであろう-そういう自信に裏付けされた国憲起草の勅命なのです。

 今年は明治の元号につなげれば明治150年。「その年に迎える11日の『建国記念の日』を、とりわけ意義深く感じる人も多いことだろう」と産経新聞2月11日付の主張は説いていました。それを本当に意義深いものとするには、こうしたわが国の「建国の理念」を明確につかみ直し、再認識することが何よりも大切でしょう。