NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

「正義と勇気の日」

「【産経抄】『二・二八事件』70周年…多くの台湾人の命を救った1人の日本人がいた 2月25日」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170225/clm1702250003-n1.html

 陸軍将校らがクーデターを起こした昭和11年の二・二六事件から、もう81年がたつ。「あのころ、マルクス理論の本などを読んでいる将校がかなりおりましたよ」。地方紙、夕刊フクニチ(現在は休刊)の創設者、浦忠倫は日本新聞協会のインタビューに、東京の歩兵第一連隊に勤務していた当時の空気をこう証言している。

 浦は「青年将校の思想などは、一種の国家社会主義に近い」とも語っている。イデオロギーや正義感、動機の純粋性にとらわれると、人は時に暴挙に出る。現代社会にも通じる貴重な教訓が読み取れるが、今や二・二六事件は遠い昔の話として風化しつつあるようだ。

 一方、お隣の台湾では、1947年に起きた「二・二八事件」70周年が、蔡英文政権により国家的事業として位置づけられている。日本に代わり、台湾の統治者となった国民党政府による台湾人弾圧・虐殺事件のことである。犠牲者総数は2万人を超える。

 台北でたばこ売りの寡婦が警察に殴打されたことをきっかけに、事件は勃発した。抗議の民衆デモに警察が機銃掃射を行い、「中国人を追い出せ」と民衆蜂起は広がり、台湾全島が大混乱に陥った。

 ノンフィクション作家の門田隆将さんの著書『汝、ふたつの故国に殉ず』によると、そんな中で混乱の沈静化を図り、多くの台湾人の命を救った1人の日本人がいた。日本人の父と台湾人の母の間に生まれた坂井徳章(とくしょう)である。

 「台湾人、バンザーイ」。最期に日本語で叫んで銃殺された坂井の姿は台湾人の感動を呼び、国民党政府の戒厳令下でもひそかに語り継がれた。2014年には台南市が、坂井の命日を「正義と勇気の日」に制定した。こちらの「事件」が風化しなかったことがうれしい。