NAKAMOTO PERSONAL

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建国記念の日

 日本人が日本を愛するのは、日本が他国より秀れてをり正しい道を歩んで来たからではない。それは日本の歴史やその民族性が日本人にとつて宿命だからである。
 人々が愛国心の復活を願ふならば、その基は宿命感に求めるべきであつて、優劣を問題にすべきではない。日本は西洋より優れてゐると説く愛国的啓蒙家は、その逆を説いて来た売国的啓蒙家と少しも変わりはしない。その根底には西洋に対する劣等感がある。といふのは、両者ともに西洋といふ物差しによつて日本を評価しようとしてゐるのであり、西洋を物差しにする事によつて西洋を絶対化してゐるからである。

── 福田恆存『東風西風』


「建国をしのび、国を愛する心を養う」建国記念の日


「【主張】建国記念の日 明治150年の意義考えよう」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170211/clm1702110002-n1.html

 明治元(1868)年から数えると、今年はちょうど「明治150年」にあたる。その年に迎える11日の「建国記念の日」を、とりわけ意義深く感じる人も多いことだろう。日本の創建を顧みることで、先行き不透明な現代を乗り切るための教訓をつかみたい。

 日本書紀によれば紀元前660年、初代神武天皇が橿原(かしはら)宮(奈良県)で即位した。現行暦では2月11日となり、この日をもって日本の国造りが始まる。

 その後の日本は一系の天皇を戴(いただ)きながら、営々と国を守り育ててきた。中世の元寇(げんこう)のように他国の侵攻も受けたが、民族が一丸となって国難をはね返した。

 明治6年、政府は2月11日を紀元節と定め、国を挙げて祝うことにした。西洋列強の力を目の当たりにした当時の日本は、植民地にされるかもしれないという脅威の中で近代化が急がれていた。紀元節の制定には、いま一度建国の意義を学ぶことによって、国民に一致団結を呼びかける意味があったことに改めて思いを致したい。

 先の敗戦で紀元節は廃止されたが昭和41年、これを引き継ぐ形で建国記念の日祝日法に定められた。「建国をしのび、国を愛する心を養う」とうたわれてはいるものの、国民こぞってより良い日本を築きたいと願う雰囲気になっているだろうか。政府主催の記念式典は今年も開催されない。

 明治維新の立役者の一人だった坂本龍馬が暗殺される5日前に書いた手紙が見つかったと先月、発表され、明治150年にふさわしい話題となったが、手紙の中で龍馬が「新国家」という言葉を使っていることが特に目を引く。

 研究者の一人は「龍馬の国造りにかける熱い思いを表すものだ」と解説する。近代国家・日本の夜明けは、龍馬のように国造りに命懸けの情熱を注いだ人たちによってもたらされたのである。

 翻って現在、わが国に押し寄せている他国の脅威は、明治維新の頃にも匹敵すると言っても過言ではなかろう。中国は強大な軍事力を背景に日本領域の奪取を狙い、北朝鮮は核・弾道ミサイルの開発を強行している。脅威はまさに、目の当たりにある。

 欧米諸国でも一国主義が広がるなど、世界情勢は全く先が見通せない。今こそ国民一丸となって、新しい「日本のありよう」を見つめ直すときではないか。

 かつて私は「建国記念の日」反対運動に反対した。お蔭で売物の保守反動を通り越し極右翼扱ひされるに至った。私が望んだのは「建国記念の日」などといふ「休日」ではなく、紀元節といふ「祝日」なのであり、これを突破口としての祝祭日の再検討と制定し直しなのである。戦後の「祝日」と称するものは殆どすべて「休日」に過ぎない。それだけの事なら、そんなものは全廃して毎週土日連休にした方が働くにも遊ぶにも遙かに効率が良い。
 祝祭日が休日と違ふのは、それに儀式や行事が伴ひ、それを通して国民、或は集団が連帯感を確認する事にある。その点で多少とも「祝日」の名に値する戦後の「祝日」はメーデー一日あるのみと思ふが如何。「建国記念の日」は憂国といふ国民的連帯感の養成については、階級的連帯感の目醒めを促すメーデーに遠く及ばなかった。

── 福田恆存『日本への遺言』

日本への遺言―福田恒存語録 (文春文庫)

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