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NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

北海のエースに潮の香りが運んだ「銀」

「【蔭山実のスポーツ茶論】北海のエースに潮の香りが運んだ『銀』」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/160830/clm1608300004-n1.html

 「甲子園のマウンドは潮の香りがするんですね」

 かすかな記憶で不確かなのだが、今夏の甲子園を見ていて、47年前の夏、史上初の再試合となった松山商との決勝を投げきった三沢の太田幸司投手が試合後に、そう話をしていたと聞いたのをふと思い出した。

 北海のエース、大西健斗投手の冷静なマウンドさばきが気になり、初戦からずっと見ているうちに、どこか太田投手に通じるものがあると感じたからだ。

 どんなピンチにも動じることなく、表情ひとつ変えない。主将でもある大西投手は決勝まで457球を1人で投げ抜き、夏の甲子園で全国最多37回の出場を誇る北海を創部116年で初めて決勝に導いた。決勝は我慢の投球も70球で3点を失い、ついに後輩にマウンドを譲ったが、最後まで見事な投球ぶりだった。

 甲子園で1人の投手が最後まで投げ抜くのはもはやまれになった。どんな強豪校でもいまやエース格の投手が2、3人はいる。それが裏目に出て、早々に姿を消すことになった優勝候補があったと思うと、甲子園のドラマはどこに隠されているか分からない。

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 「松山商には2人の投手がいるが、うらやましいとは思わない。また投げ抜いてみせる」。昭和44年夏の決勝で太田投手がそう言い切っていたと、当時の朝日新聞は伝えている。

 北奥羽代表として青森県から2年連続で夏の甲子園に乗り込み、延長となった初戦から決勝再試合まで、6試合で計64イニングを1人で投げきった。最後は2-4で敗れたが、勝った試合はすべて1点差だった。

 その太田投手は速球主体の豪快な投球だけでなく、グラウンドでの振る舞いも評価された。読書好きの優等生で、感情は表に出さない性格。試合中は接触した相手選手を気遣うこまやかさを見せていたという。

 大事なのはそこである。大西投手を見ていて気になったことが決勝当日になってようやくわかった。「大西投手はガッツポーズをとらない。それは相手を敬っているからである」。そう伝えられていたのだ。

 派手なガッツポーズが横行するスポーツ界。甲子園が白熱する間、地球の裏側でもそんなシーンは幾度も見たが、それを抑えることの強さもまた知らねばならないとつくづく思った。

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 「やりきることができた。甲子園で戦えて幸せです」。戦い終えて、すがすがしい表情で大西投手は語った。オリンピック風に言えば、「116年で初のメダル」。色はどうであれ、今夏、どのメダルよりも重たかったのではないか。

 甲子園球場は浜風に乗って潮の香りがすると確かにいわれるが、準優勝投手を経験した知人いわく、「落ち着いて投げ抜いた者でこそ感じられるもの」。大西投手の「銀」は太田投手のように潮の香りが運んできたとしても不思議はない。

 「古きよき甲子園」を感じさせる夏になったのは北海の躍進があったからだろう。決勝も点差が開いたとはいえ、一方的な試合とは感じられなかったところにそれが表れている。スポーツ盛りだくさんだった夏、甲子園をかすませてしまうとしたら惜しい話だ。

 大西投手は進学して次は大学野球を目指すという。できれば、最も華やかな舞台で、行き届いたマナーとともに、研ぎ澄まされた投球ぶりをまた見せてほしい。それは学生野球の新たな世界を切り開いていく原動力になるかもしれない。