一人曠野を行け!
NHK「100分 de 名著『堕落論』坂口安吾」
今晩は2回目。
「第2回 一人曠野を行け」
→ http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/56_darakuron/index.html#box02
第2回 一人曠野を行け
【放送時間】
2016年7月11日(月)午後10:25~10:50/Eテレ(教育)
【再放送】
2016年7月13日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2016年7月13日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
大久保喬樹(東京女子大学教授)
…比較文化研究者。 著書に「日本文化論の系譜」など。
【朗読】
青木崇高(俳優)
…連続テレビ小説「ちりとてちん」、大河ドラマ「龍馬伝」などに出演。
「続堕落論」では、「堕落」の意味を更に深めることで、「実存哲学」とでもいうべき思想へと自らの思想を昇華していく。いわく「堕落のもつ性格の一つには孤独という偉大なる人間の実相が厳として存している」。堕落は決して生やさしい道ではない。それは徹底して孤独で血みどろの生き方なのだ。この立場に立つならば、社会制度の改革や政治によって、人間同士の対立や人類の不幸を解決できるという楽観論は全て退けられる。政治や社会制度によって人間は救われない。人間の生活は、個の対立の中にしか存在しない。そんな人間の実相を見つめぬくものこそ「文学」であり、そこを見つめなければ人間の再生はありえない、と安吾は訴える。第二回は、「孤独」という言葉で「堕落」のもつ意味を深化させた安吾の思想を紐解き、真の人間再生の道とはどんなものかを考える。
坂口安吾 『堕落論』 2016年7月 (100分 de 名著)
- 作者: 大久保喬樹
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2016/06/25
- メディア: ムック
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久しぶりに『恋愛論』。
恋愛というものは常に一時の幻影で、必ず亡び、さめるものだ、ということを知っている大人の心は不幸なものだ。
若い人たちは同じことを知っていても、情熱の現実の生命力がそれを知らないが、大人はそうではない、情熱自体が知っている、恋は幻だということを。
年齢には年齢の花や果実があるのだから、恋は幻にすぎないという事実については、若い人々は、ただ、承った、ききおく、という程度でよろしいのだと私は思う。
教訓には二つあって、先人がそのために失敗したから後人はそれをしてはならぬ、という意味のものと、先人はそのために失敗し後人も失敗するにきまっているが、さればといって、だからするなとはいえない性質のものと、二つである。
恋愛は後者に属するもので、所詮幻であり、永遠の恋などは嘘の骨頂だとわかっていても、それをするな、といい得ない性質のものである。それをしなければ人生自体がなくなるようなものなのだから。つまりは、人間は死ぬ、どうせ死ぬものなら早く死んでしまえということが成り立たないのと同じだ。
人間の生活というものは、めいめいが建設すべきものなのである。めいめいが自分の人生を一生を建設すべきものなので、そういう努力の歴史的な足跡が、文化というものを育てあげてきた。恋愛とても同じことで、本能の世界から、文化の世界へひきだし、めいめいの手によってこれを作ろうとするところから、問題がはじまるのである。
私はいったいに同情はすきではない。同情して恋をあきらめるなどというのは、第一、暗くて、私はいやだ。
私は弱者よりも、強者を選ぶ。積極的な生き方を選ぶ。この道が実際は苦難の道なのである。なぜなら、弱者の道はわかりきっている。暗いけれども、無難で、精神の大きな格闘が不要なのだ。
恋愛は人間永遠の問題だ。人間ある限り、その人生の恐らく最も主要なるものが恋愛なのだろうと私は思う。人間永遠の未来に対して、私が今ここに、恋愛の真相などを語りうるものでもなく、またわれわれが、正しき恋などというものを未来に賭けて断じうるはずもないのである。
ただ、われわれは、めいめいが、めいめいの人生を、せい一ぱいに生きること、それをもって自らだけの真実を悲しく誇り、いたわらねばならないだけだ。
人の魂は、何物によっても満たし得ないものである。特に知識は人を悪魔につなぐ糸であり、人生に永遠なるもの、裏切らざる幸福などはあり得ない。限られた一生に、永遠などとはもとより嘘にきまっていて、永遠の恋などと詩人めかしていうのも、単にある主観的イメージュを弄ぶ言葉の綾だが、こういう詩的陶酔は決して優美高尚なものでもないのである。
人生においては、詩を愛すよりも、現実を愛すことから始めなければならぬ。もとより現実は常に人を裏ぎるものである。しかし、現実の幸福を幸福とし、不幸を不幸とする、即物的な態度はともかく厳粛なものだ。詩的態度は不遜であり、空虚である。物自体が詩であるときに、初めて詩にイノチがありうる。
人は恋愛によっても、みたされることはないのである。何度、恋をしたところで、そのつまらなさが分る外には偉くなるということもなさそうだ。むしろその愚劣さによって常に裏切られるばかりであろう。そのくせ、恋なしに、人生は成りたたぬ。所詮人生がバカげたものなのだから、恋愛がバカげていても、恋愛のひけめになるところもない。バカは死ななきゃ治らない、というが、われわれの愚かな一生において、バカは最も尊いものであることも、また、銘記しなければならない。
人生において、最も人を慰めるものは何か。苦しみ、悲しみ、せつなさ。さすれば、バカを怖れたもうな。苦しみ、悲しみ、切なさによって、いささか、みたされる時はあるだろう。それにすら、みたされぬ魂があるというのか。ああ、孤独。それをいいたもうなかれ。孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。
- 作者: 坂口安吾
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2008/09/17
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日本文化私観―坂口安吾エッセイ選 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
- 作者: 坂口安吾,川村湊
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