NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

日本語の美しい襞

「【正論】朝日新聞毎日新聞の皇室敬語がなっていない! 『敬語の民主化』は不可能だ 防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/160407/clm1604070004-n1.html

 日本語は襞(ひだ)に富む言葉である。英語の「I love you」は「好きよ」あるいは「愛してるよ」と訳せる。さらにこれに主語も目的語も付けることができる。主語にも「僕」「俺」の言葉もあれば、「私」という主として女性が使う表現もある。目的語には「君」「お前」も「貴方」もある。そのどれを使うかによって微妙な差が出る。日本語の豊かさであり、私はそれを誇りに思う。


 天皇誕生日の各紙表現の差≫

 その中で皇室にどのような表現を用いるかは重要である。在京主要5紙が昨年12月23日、つまり天皇誕生日にどのような言葉遣いをしたかを五十音順に眺めよう。

 まず「朝日」である。「天皇陛下は23日、82歳の誕生日を迎え、これに先立ち記者会見した」

 ついで「産経」。「天皇陛下は23日、82歳のお誕生日を迎えられた」。次は「日経」。「天皇陛下は23日、82歳の誕生日を迎えられた」。基本的に「産経」と同じである。違いは「お誕生日」か「誕生日」か、「お」の有無だけだ。

 4番目は「毎日」である。「天皇陛下は23日、82歳の誕生日を迎えられた」。これは「朝日」とは違う。ただし、次の一文では、陛下はパラオの「『島々に住む人々に大きな負担をかけるようになってしまったことを忘れてはならない』と話した」とある。つまりは「朝日」と同じ語調なのだ。

 最後が「読売」。記事の冒頭に「天皇陛下は23日、82歳の誕生日を迎えられた」とある。この一文に関しては「日経」と全く同じ。結局、5紙は皇室報道で「朝日・毎日」グループと「産経・日経・読売」グループに二群化できる。

 ついでに言うと、NHKは後者に入る。活字とは違い音声は残らないからその実例を挙げるのは困難だが、ただ一度だけ、私の記録が残っている。今年3月17日のNHK番組「ラジオ深夜便」がそれで、0時9分ごろ眠れないまま聴いたのを即座にメモした。それは、両陛下が5年前の東日本大震災からの復興状況視察のために、福島県三春町に入られた件であった。無論、敬語的表現で結ばれていた。他の民放番組をテレビもラジオも視聴しないので、どうであるか知らない。


 「言葉の民主化」は不可能だ

 以上は天皇報道だけでなく皇族全体についても言える。なかで「朝日・毎日」組が敬語的表現を捨てたのはさほど古いことではない。先んじたのは「朝日」で、1993年4月6日開始の連載「皇室報道」がその契機となった。計51回。3カ月半に及ぶ連載の第46回が方針転換の始まりである。

 「『言葉の民主化』で敬語も変わる」と題したこの記事は、1952年に国語審議会がまとめた報告を紹介、それを「言葉の民主化」方針だと捉えている。その上で皇室関係では敬語的表現の多用化傾向があるのを問題視し、「敬語の民主化」の必要を提唱した。

 私見では「言葉の民主化」とか「敬語の民主化」は不可能だ。民主化とは制度に関わる概念であり、「言葉」を民主化することはできない。言葉は時代につれて変わる。候文が口語文に変わったのは、なにも日本的封建制の崩壊とは関係がない。「朝日」は何か勘違いして力んでいるのである。

 同紙は連載当時、伊藤正己東大名誉教授を会長とする「紙面審議会」をもっていて、その11月会合で「皇室報道と敬語」につき、有識者の意見を聴取した。結論はこうであった。「社としてはこれらの意見を参考に、基本的には『開かれた皇室』をめざしつつ、事実に即した報道につとめたいと考えています」。ここでも「朝日」は思い違いをしている。なぜか。

 まるで自分たちの一存で皇室を開いたり閉じたりできるかのような尊大さではないか。「菊のカーテン」の見通しがよくなったのは、皇室ご一統が長年にわたり努力されたからでこそ、なのだ。


 伝統的な美しさを次世代へ

 「毎日」が皇室報道で方針転換したのは「朝日」にやや遅れてのことだが、その事情はいくら調べてもよく分からない。多分、「朝日」に追随したのだろう。先発・後発の関係では無論、先発組の責任の方が重い。

 親の心、子知らずなのか、「朝日」読者は必ずしも敬語抜きの皇室報道に同意していない。ある女性は「声」欄への投書で、両陛下のフィリピン公式訪問に触れ(2016年2月4日付)、亡き父の歌を追想、レイテ島で戦友の遺骨収集を続ける元兵士に「両陛下がねぎらいのお言葉をかけられたとの報道に触れ…」と書いた。また「両陛下は『比島戦没者の碑』の前で追悼されました」ともある。心を洗う美しい追悼の言葉だ。

 先般の東日本大震災5年で両陛下が被災地を訪問されたとき、人々がそれをいかに喜びとしたことか。「朝日」はそのとき、天皇陛下の「ことば」ではなく「おことば」と全文掲載した。これは敬語であり、内容にふさわしい。

 敬語は日本語の美しい襞である。伝統的に守られてきたこの美しさを次世代に引き継ぐべきだ。

『2014年11月23日(Sun) 変わらない朝日新聞』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20141123


翁に曰く、

 朝日新聞はながく共産主義国の第五列に似た存在だった。第五列というのは国内にありながら敵勢力の味方をするものである。それなら朝日新聞はわが国の社会主義化を望むかというとそんなことは全くない。資本主義の権化である。朝日は昭和天皇を常に天皇と呼び捨てにしていたのに、逝去の日が近づくと陛下と書きだした。ついには崩御と書いた。最大級の敬語である。読売が崩御と書いてひとり朝日が書かないと読者を失うかと恐れたいきさつはいつぞや書いた。
 朝日の売物は昔から良心(的)と正義である。こんなことでだまされてはいけないとむかし私は「豆朝日新聞」の創刊を思いたった。

── 山本夏彦(『「豆朝日新聞」始末』)