NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

最良の史書は歴史が主人公になり、その顔が見える。

「【産経抄】南京事件しかり、慰安婦しかり…教科書は度の強い眼鏡を掛けた大人の見解を盛る器ではない」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/160320/clm1603200004-n1.html

 3人で行動すれば、その中に手本となる人がきっと見つかる。孔子はそう説いたという。〈子の曰(いわ)く、我(わ)れ三人行なえば必らず我が師を得(う)〉(『論語岩波文庫)。よい人からは長所を学べばよし。よからぬ人の短所もわが身を律する鏡になろう、と。

 人の物差しは年とともに伸縮する。多情多感な若者のそれは、たわみやすい。ましてや中国、北朝鮮が近隣にあり、平和の概念が転換を迫られる時代でもある。形の定まらぬ若者の価値観を逆手に取り、大人のレンズで事の本質をゆがめて見せるのは禁じ手だろう。

 平成29年度から使われる高校教科書の、検定結果が公表された。見解の分かれる事柄を取り上げる際、政府見解や確定判決に触れ、バランスに配慮を-。文部科学省が新たな検定基準を適用した今回も、地理歴史や公民で偏った見解に基づく記述が目立ったという。

 「日本が世界のどこででも戦争ができる国になるのかも…」。ある出版社が集団的自衛権に触れた修正前の記述である。生徒に誤解を与えるとの意見がついて直されたが、「誤解」だけで済むのか。臭気に満ちた思想の誘導を嗅ぎ取るのは小欄だけではあるまい。

 南京事件をめぐる記述しかり、慰安婦の「強制連行」しかり。教科書は度の強い眼鏡を掛けた大人の見解を盛る器ではない。価値観のよりどころとなる相手を学校で「一人」しか持てぬ高校生に、濁りのない目で物事を見てもらう。検定はせめてもの一助であろう。

 人生に対して抱く深い興味は人の心を富ませる。それが勉学の報酬だと、英国の哲学者ミル(1806~73年)は説いた。その導き手に怪しげな者がいかに多いか。誰が言ったか「教育もまた、教育を必要としないだろうか」とは至言である。

論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)

自由論 (岩波文庫)

自由論 (岩波文庫)

 「将来に向かってよりよい歴史をつくり出す」という家永三郎氏の発言は何事か。歴史は作り出すものではない。勿論、作り出したものでもない。歴史が吾々を作り出したのである。日本国憲法も民主主義、平和主義も歴史が作り出したのである。最良の史書においては歴史が主人公になり、その顔が見える様に書かれている。家永氏の軽視した「記紀」は正にそういうものではないか。右に引用した家永三郎氏の「新日本史」末尾に徴して見ても明らかな通り、この書物の主人公は歴史ではなく現代である。現代の顔を、或は自分の顔を映し出す自惚れ鏡を歴史教科書と称することは許されない。古来、歴史を鏡と称して来たのは、それによって現代、及び自分の歪みを匡(ただ)す意味合いのものではなかったか。

── 福田恆存『私の歴史教室』