NAKAMOTO PERSONAL

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「歴史に学べ」

「『やっぱり、お前らは、武士じゃない』架空会見で竜馬が学生運動家を喝破 司馬遼太郎さんが教える『歴史に学べ』 論説委員・鹿間孝一」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/160214/clm1602140006-n1.html

 司馬遼太郎さんが逝って20年が過ぎた。12日が命日だった。

 大阪発行朝刊に山野博史関西大法学部教授が連載している「司馬さん、みつけました。」に興味深い記述があった。

 山野さんは司馬さんのあまり知られていない原稿を発掘するため、古い産経新聞マイクロフィルムで閲覧していて「新発見が叶った」という。

 その一つが昭和38年1月3日付朝刊の「英雄の嘆き-架空会見記」である。山岡荘八武田泰淳三島由紀夫というそうそうたる顔ぶれで、司馬さんは坂本竜馬全学連のメンバーとの架空会見を書いている。


全学連との架空会見

 〈「わしは、な、諸君」と竜馬はいった。

 「全学連もええし、六本木にたむろしちょる不良どもも、ええと思うちょる。若さというもんは、所在ないもんじゃ。しかし、おなじ始末におえぬエネルギーなら、もっと利口なことに向けられぬものか」(中略)

 「全学連諸君」竜馬がいう。「お前(まん)らが、わしら維新で働らいた連中とちがうところは、命が安全じゃ。命を賭けずに論議をし、集団のかげで挙をはかり、つねに責任や危険を狡猾に分散させちょる。やっぱり、お前らは、武士じゃない。これはくわしくいいたいが、時間がない。もそっとききたければ高知郊外桂浜まで、足労ねがおう」(後略)〉

 引用部分は山野さんによる。

 15年ほど前、司馬さんの新聞記者時代を調べたことを思い出し、膝を打った。

 司馬さんは昭和23年に産経新聞社に入社し、京都支局で宗教と大学を担当した。京都大学記者クラブがあった。

 左翼の学生運動が勃興した時期で、京大はその拠点だった。


義和団のようなもの

 26年11月、昭和天皇が全国ご巡幸の一環として京大を訪問された。五、六百人の学生が反戦歌を歌ってお車を取り囲んだ。時計台のある本部建物の総長室で各学部代表からご進講を受けられている間に、外の群衆はさらにふくれあがり、大学側の要請で警官隊が出動した。

 司馬さんもその場にいたが、騒ぎにはまるで関心を示さなかった。そして学生運動を「あれは義和団のようなものだ」と言ったそうだ。

 日清戦争後、西欧列強の清への進出に対し、義和団という宗教秘密結社が「扶清滅洋」(清朝を助け西洋を撲滅せよ)のスローガンを掲げ、キリスト教会を焼き打ちし北京の各国公使館を包囲するなどした。乱は各国によって鎮圧され、巨額の賠償金を求められた清朝は植民地化が進み、滅亡への道をたどる。

 学生たちの行動は一時の熱、酔いにすぎず、意に反して外部からの大学支配を強めるだけ、と司馬さんは喝破したようだ。


答えは歴史の中に

 司馬さんは戦車兵として学徒出陣した。

 「雑談である」とことわって「なぜそのとき反戦しなかったのかというふしぎなことをいまの学生は問うそうだが、歴史は段階をもって進んでいる。この一事が理解できない人間というのは一種の低能かもしれない」(「歴史を動かすもの」から)。

 全共闘による大学紛争、ベトナム反戦などを背景とした45年1月の文章である。珍しくストレートで厳しい表現だ。

 前置きが長くなったが、本題は過去ではなく現在である。

 昨年、安全保障関連法に反対する国会前のデモで「SEALDs(シールズ)」が脚光を浴びた。安倍晋三首相を「バカか、お前は!」と呼んだリーダー格は、時の人のようにテレビの討論番組や集会に引っ張りだこになった。学生団体とされるが、若者が多いものの従来の学生運動とはどうも異なる。

 ここしばらく政治に無関心だった若者が、どこからともなくデモに加わった。1強多弱の政界にいらだっていた一部のメディアは「これが市民の声」「デモが日本を変える」と持ち上げ、野党も選挙を視野に連携を模索している。

 選挙権年齢が18歳以上に引き下げられることを考えると、若者が政治に関心を持つことは歓迎だが、一方で危うさも感じる。一時の熱や酔いではいけないし、まして未熟につけ込んで誘導してはならない。

 代表作で、いずれも産経新聞に連載した「竜馬がゆく」では維新の、「坂の上の雲」は明治の若者群像を描いた。

 司馬さんは現代の若者たちに、歴史に学べと教えてくれたのではないか。


「愚者は体験に学び、余は歴史に学ぶ」

 かつてビスマルクは「愚者は体験に学び、余は歴史に学ぶ」と言ったと伝えられています。もちろん、自分の肌で体験して得た知識は大事ですが、それだけに頼ると思わぬ判断ミスをする。やはり、賢者たらんと思えば歴史に学ぶことを忘れてはいけないのです。

── 岡崎久彦『賢者は歴史に学ぶ―日本が「尊敬される国」となるために』