NAKAMOTO PERSONAL

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建国記念の日

 日本人が日本を愛するのは、日本が他国より秀れてをり正しい道を歩んで来たからではない。それは日本の歴史やその民族性が日本人にとつて宿命だからである。
 人々が愛国心の復活を願ふならば、その基は宿命感に求めるべきであつて、優劣を問題にすべきではない。日本は西洋より優れてゐると説く愛国的啓蒙家は、その逆を説いて来た売国的啓蒙家と少しも変わりはしない。その根底には西洋に対する劣等感がある。といふのは、両者ともに西洋といふ物差しによつて日本を評価しようとしてゐるのであり、西洋を物差しにする事によつて西洋を絶対化してゐるからである。

── 福田恆存『東風西風』


「建国をしのび、国を愛する心を養う」建国記念の日


「【主張】建国記念の日 政府自ら祝典を開催せよ」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/160211/clm1602110001-n1.html

 大きな節目となる50回目の「建国記念の日」を迎えたが、今年もまた、国として祝う式典は開かれない。残念というほかない。

 日本の建国は神話的な伝説に基づいている。新しい国づくりを目指して日向国を出た神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)は瀬戸内海を東進し、難波、熊野へと至る。やがて大和を平定すると橿原(奈良県)を都と定め天下を統治することになった。

 古事記日本書紀がつづる初代神武天皇即位の物語である。

 明治6年、政府は即位の日を現行暦に換算した「2月11日」を紀元節と定めたが、先の敗戦後はGHQ(連合国軍総司令部)によって廃止された。建国記念の日として復活するのは昭和42年で、祝日法には「建国をしのび、国を愛する心を養う」と明記された。

 半世紀を経て、法の趣旨が十分に浸透しているかは疑問である。戦後の学校教育では、神話や建国の歴史が皇国史観軍国主義につながるとして避けられてきた。自国の歴史を否定する自虐まみれの教育で、どうして青少年の健全な愛国心を育てられよう。

 日本の建国の日を知っている日本人は2割にも満たないとの調査結果もある。神話はそっくり史実ではないにしろ、先人の国づくりへの思いや日本人としての生き方がうかがい知れる、いわば民族の貴重な遺産なのである。

 自国のそのような遺産を誇りに思わない国民が国際社会から評価されようか。学校教育を含めた国の役割は極めて重大だといわざるを得ない。

 昨秋、大阪で開催された交声曲「海道東征」のコンサートで、大きなホールが聴衆の感動に満たされたことを改めて想起したい。北原白秋作詩、信時潔作曲によるこの曲は、壮大な建国の歴史を格調高くうたいあげたものだ。

 新保祐司・都留文科大教授は、「(聴衆は)自分という人間が、日本の建国の歴史に精神の深みで繋(つな)がっていることに覚醒して、魂の感動を覚えた」と評した(昨年12月1日付本紙「正論」)。

 いま国内外で直面している幾多の困難を乗り切るためにも、日本人としての誇りを抱き続けるこれら国民の熱い思いに、政府は真剣に応えるべきではなかろうか。政府が直接関与する祝典の開催が、まず何よりも望まれる。

 かつて私は「建国記念の日」反対運動に反対した。お蔭で売物の保守反動を通り越し極右翼扱ひされるに至った。私が望んだのは「建国記念の日」などといふ「休日」ではなく、紀元節といふ「祝日」なのであり、これを突破口としての祝祭日の再検討と制定し直しなのである。戦後の「祝日」と称するものは殆どすべて「休日」に過ぎない。それだけの事なら、そんなものは全廃して毎週土日連休にした方が働くにも遊ぶにも遙かに効率が良い。
 祝祭日が休日と違ふのは、それに儀式や行事が伴ひ、それを通して国民、或は集団が連帯感を確認する事にある。その点で多少とも「祝日」の名に値する戦後の「祝日」はメーデー一日あるのみと思ふが如何。「建国記念の日」は憂国といふ国民的連帯感の養成については、階級的連帯感の目醒めを促すメーデーに遠く及ばなかった。

── 福田恆存『日本への遺言』

日本への遺言―福田恒存語録 (文春文庫)

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