NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

霜の花


 雪が人工で出来ないものだろうか。それは四、五年前までは私にとっては全くの夢であった。そして私ばかりではなく、各国のこの方面の学者たちの中でも真面目に雪を作ろうなどと思っていた人はなかったようである。私は初め、単に天然の雪華を顕微鏡写真に撮ることにとりかかった。そして雪の降る日は毎日のように廊下に持ち出した顕微鏡を覗いていたのであるが、いくら北海道でもそう毎日雪が降ってばかりもいない。それで雪の降らぬ時は合の手として、実験室や廊下などの窓に出来ている「霜の花」の写真を撮ることにした。その「霜の花」にも雪の結晶と類似の色々の変った結晶が見られるのでなかなか面白かったのである。そんなことをしている中にその年の冬の終り頃になって、もう雪も降らず「霜の花」も余り咲かなくなって来た。その頃になって私は次の問題としてこの「霜の花」を人工で作って見ようという気を起した。それで食塩と雪とで銅の箱を冷して置いてその面へ水蒸気を送ってやって、「霜の花」を作ることを試みた。それは案外簡単に出来たのである。もっともそれは、悪友の一人に「便所の窓にだって出来るものだから、実験室で出来るのは当り前じゃないか」といわれて、大笑いになってしまった。しかし便所の窓で気のついたことは、この「霜の花」が雪の結晶と形が違うのは、そして硝子面の性質によっても著しく形の異るのは、硝子面にいつでも附着している有機化合物の薄膜によるのではないかという点であった。それで硝子面にいろいろの脂あぶらをつけて、その上に「霜の花」を作ることを試みたのであるが、この時は硝子面を完全に綺麗にするのに手間取っているうちに春になってしまった。

── 中谷宇吉郎(『』)

雪 (岩波文庫)

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