NAKAMOTO PERSONAL

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若者の「情熱」政治利用を慎め

「【正論】若者の「情熱」政治利用を慎め 東洋学園大学教授・櫻田淳」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/151229/clm1512290001-n1.html

 今月上旬、民主、共産、維新、社民の野党4党は、学生団体「SEALDs(シールズ)」など安全保障関連法の廃止を目指す諸団体と提携し、来年夏の参議院議員選挙に際して「安保法廃止」を争点にして臨む方向で動き出したようである。

 今夏の安保法制審議の最中、世の耳目を集めたのは、この学生団体を中心とした若者たちが法案反対運動に参集した姿であった。大人世代の「識者」の中には、件(くだん)の学生団体の活動を評して、「素晴らしい」とか「大きな希望」とかといった言葉で称揚する向きがあった。前に触れた野党4党の対応もまた、そうした学生団体の活動に期待する「空気」の中で浮上したものであろうことは、容易に推測できよう。


 《人間社会の「複雑さ」を知る》

 無論、選挙法改正により選挙権付与年齢が18歳に引き下げられることを考えれば、若者たちが政治に関心を持つように誘うことは大事である。政治に対する関心は、民主主義体制を成り立たせる一つの基盤である。

 ただし、「政治に関心を持つ」ということと、「デモや選挙立候補という体裁で政治に参加する」ということの間には、越え難い断層があるのだし、その「政治に参加する」にも、相応の「作法」を踏まえなければならないのだということは、強調されなければなるまい。

 そして、「政治に参加する『作法』」を考える上で示唆深いのが、エリック・ホッファーが著書『情熱的な精神状態』に残した次の言葉であろう。

 「平衡感覚がなければ、よい趣味も、真の知性も、おそらく道徳的誠実さもありえない」

 政治は、「異質な他者」と関係を紡ぐ営みである以上、そこで要請されるのは、人間社会の「複雑さ」への理解であり、ホッファーが呼ぶところの「平衡感覚」である。

 マックス・ウェーバーが戯曲『ファウスト』に登場する「気をつけろ、悪魔は年取っている。だから、悪魔を理解するためには、お前も年取っていなければならぬ」というせりふを引きながら、「教養」の意義を強調したのも、時代や国情は異なるとはいえ、その説こうとした問題意識は、ホッファーのものと通底していよう。


 《不可欠な「思考の蓄積」》

 そもそも、ウェーバーが今では政治学上の古典として語られる講演録『職業としての政治』で意図しようとしたのは、「未熟ではあるが一部は真剣な若者たち」に対して、ワイマール体制下における社会改革への「生煮えの情熱」を鎮静させることであった。

 「善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは、人間の行為にとって決して真実ではない」という有名な一節は、そうした講演の意図を含み置いて理解されるべきものであろう。

 故に、安保法案を含めたさまざまな政治事象を前に対して、若者たちにまず説かれるべきは、「興奮して軽々に振る舞うのではなく、色々な書を読み色々な見聞を広めながら、幅広い『教養』と確かな『平衡感覚』を身に付けよ」ということであったに違いない。

 こうしたことが成るためには、相応の時間を費やした上での「思考の蓄積」が要る。前に触れた「政治に参加する『作法』」を支えるのは、そうした「思考の蓄積」に他ならない。

 そうであるとすれば、野党4党に限らず政治勢力一般が、「政治の現場」に若者たちを招くことによって広く見聞を深める機会を提供するのは、大いに奨励されるべきことかもしれない。けれども、自らの政策目的の貫徹や党勢の拡大のために若者たちの「情熱」を利用しようとするのは、厳しく戒められなければならない。


 《禍根を残す野党の対応》

 1930年代のナチス・ドイツにおける「ヒトラー・ユーゲント」にせよ、1960年代の文化大革命下の中国における「紅衛兵」にせよ、大人世代が若者たちを煽(あお)り、政治勢力が若者たちの「情熱」を利用しようとした弊害の事例は、史上枚挙にいとまがない。野党4党は、「若者たちに、どこまで政治に関わらせるか」ということについて確たる見極めができているであろうか。

 そうでないならば、野党4党の対応は、日本の民主主義体制に甚大な禍根を残すことになろう。前に触れたホッファーが書いたように、「ある理想を実現するために一つの世代を犠牲に供する人は、人類の敵である」というのは、一つの真理である。

 筆者は日々、政治を観察し考究するのを生業としているけれども、それでも常々、広く政治に「距離」を置く姿勢は大事であると考えている。再びホッファーの言葉を引くならば「わが国家、人種への誇り、正義、自由、人類等々に対する献身も、われわれの人生の内実であってはならない」という言葉にこそ、共感を覚える。若者たちに対して伝えられるべきは、こうした言葉に表される政治への「距離」の感覚であろう。

  • 「平衡感覚がなければ、よい趣味も、真の知性も、おそらく道徳的誠実さもありえない」
  • 「善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは、人間の行為にとって決して真実ではない」
  • 「興奮して軽々に振る舞うのではなく、色々な書を読み色々な見聞を広めながら、幅広い『教養』と確かな『平衡感覚』を身に付けよ」
  • 「わが国家、人種への誇り、正義、自由、人類等々に対する献身も、われわれの人生の内実であってはならない」

 青年は先づ「ひとり」であることが大切だ。さうして、自分とは何者であるか、何を欲し、何を愛し、何を憎み、何を悲しんでゐるか、それを自覚し、そして自分自身を偽らぬことです。他人が正しくないと云って憤るよりも、自分一人だけが先づ真理を行ふことの満足のうちに生存の意義を見出すべきではないですか。郵便配達夫は先づその職域に於て最善の責務を果すことです。それもできずに、道義退廃だの政治の改革だのと騒いでも駄目です。私は結社や徒党はきらひで、さういふものゝ中でしか自分を感じ得ぬ人々は特にきらひなのです。

── 坂口安吾『青年に愬ふ―大人はずるい―』

『2015年12月06日(Sun) シールズに読んで欲しい15冊』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20151206


魂の錬金術―エリック・ホッファー全アフォリズム集

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職業としての政治 (岩波文庫)

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