NAKAMOTO PERSONAL

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真の国際人であるための条件

「【正論】真の国際人であるための条件とは何か 入江隆則(明治大名誉教授)」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/151207/clm1512070001-n1.html

 国際人たるべしという要望はこの国の内外で依然、強いようである。小学生の低学年から英語を教えるべきだという意見も、それに関連してよく語られている。しかし、私はそういう考え方に疑問を感じている人間の一人である。その一つの理由は、その人自身は国際人でないのに、国際人を説いている場合が多いような気がするからだ。


 ≪本格的な日本語教育を≫

 実は私も自分の娘を国際人にしようとして努力したことがないわけではなかった。本人の希望や、私の日本の大学への失望感もあり、大学から大学院にかけてはイギリスで教育を受けさせることにした。一応、その甲斐もあって、娘は英語を使い、アメリカの国際企業に勤務し、シンガポールを拠点に活動している。しかし、どうも最近はそのマイナス面が目について仕方がない。

 娘はロンドンかパリに家を建てるといっている。つまり娘に会いに行くときには国際線に乗らなければならない。

 また、最近は本を書くなどと言っているが、それも日本語ではなく英語にしようと考えているらしい。カズオ・イシグロのように英語で書いたらいいよ、と私は冗談で言うこともあるが、本心は穏やかではない。日本には平安朝以来の、漢字仮名交じり文で文章を綴る輝かしい伝統があるのに、それがどうなったのかと大時代なことを考えたりする。

 この漢字仮名交じり文を書くという日本の伝統であるが、言うまでもなくこれは決して生やさしい仕事ではない。最初に述べた小学校の低学年から英語を学ばせることへの私の疑問も、この大事な日本語教育へのマイナスの影響があると思われるからである。

 今日の世界を見ると、国際会議などで英語でしゃべるのは、過去に西洋の植民地になった国や地域の人々が多く、日本などそうでない国では自国の国語を使う場合が多い。この場合、後者の自国語で語る方が尊敬をもってみられるようになってきていると思う。今や世界はそんなふうに変わってきているのであり、その意味でも本格的な日本語教育に時間を割くべきだと思う。それは日本人としての自覚を涵養(かんよう)することにもなる。


 ≪爆弾にも不動だった重光葵

 最近、私は白洲次郎松岡洋右などの、戦前・戦中から戦後にかけての日本の外交や国際関係の最前線にあった人々の伝記をまとめて読む機会があった。その結果、分かったことは、彼らは戦後のやわな、似て非なる国際人ではなくて、一様に日本人であることに強い自信と誇りを持った人々だということだった。

 その典型的なエピソードを一つ思い出しておくと、たとえば重光葵は隻脚の外交官として知られているが、彼が片足を失った理由は、昭和7年4月29日の上海における天長節祝賀会で、朝鮮の独立運動家・尹奉吉が投げた爆弾を身に受けたからだ。そのときは君が代の斉唱中だったので、爆弾が投ぜられたのを知っていながら重光が体を動かさなかったためだとされている。

 つまり国歌斉唱というのは戦前の日本人にとっては、それぐらいの、場合によっては「捨て身」であることが必要な重要行為だったわけで、今の日本人なら爆弾を見た途端に歌うのをやめて、さっさと逃げ出すに違いない。だから本来の意味での真の国際人であるためには、単に英語が話せるというようなことだけではなくて、その根底に強い愛国心があって然るべきなのだが、それが忘れられているのが今日の姿であるような気がしてならないのである。


 ≪日本人を貶めた占領政策≫

 私は国際人であることを軽蔑してみせたり、あるいは国際人であること自体に異を唱えているわけではない。真の国際人であるための条件を考えているにすぎない。

 この国でいつ頃からそうなったのか判然としないが、国際化とか国際人とかの言葉が好ましい言葉として脚光を浴びるようになったのは、それほど昔のこととは思われない。

 私がそういう空気を恥ずかしく思っているのは、この現象の少なくとも一部は、アメリカの日本に対する占領政策の結果として、戦後の日本人から「誇り」や「品格」を奪い、日本人を「臆病者」や「卑怯者」に貶めた結果によると考えられるからである。私はそういう占領政策に対して今に消えない怒りと憤りを感じているが、同時に日本人については、戦後70年もたった現在、敗戦後遺症からいいかげんに脱却して然るべきだと強く思っている。そうでなければ、あれだけ熾烈に対米戦争を戦ったわれわれの先輩に対して、合わせる顔がないではないか。

 大東亜戦争がもし、なかったとしたら、西欧による支配はアジアからアフリカにかけての広範な地域で、そのまま残っていたかもしれない。それを打破したのは日本人の燦たる業績である。われわれはそのことをよく自覚したうえで、今後も国際社会に対処していかなければならないと思う。

太平洋文明の興亡―アジアと西洋・盛衰の500年

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