NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

真理とは、退屈なものである

机の前の日めくりニーチェ


今日は14日。

 若者たちは興味深いものや
 突飛なものを愛し、
 それが正しいか間違っているかには、
 無関心である。
 より成熟した精神は、真理の中でも
 興味深く突飛なものを愛する。
 完全に成熟した頭脳は、
 ついには、地味で質素に見えるので
 普通の人にとっては退屈なものでしか
 ないようなことでも、真理を愛する。
 なぜなら彼らは気付いているからである。
 真理というものは
 単純に語られるのが常だからである。

日めくり ニーチェ

日めくり ニーチェ


真理は常に正統である。
いつの時代も、思慮の浅い者は扇動的な言葉や真新しい突飛なものに飛び付く。
どこぞの学生集団のように反対だの革命だのとエキセントリックに抵抗することの中にカタルシスを感じ、狂気となる。
真理は正統であり、正気である。
「正気であることは、狂気であることよりもはるかにドラマチックなものである」


正統派保守思想家、チェスタトンは言います。

 正統は何かしら鈍重で、単調で、安全なものだという俗信がある。こういう愚かな言説に陥ってきた人は少なくない。だが、実は、正統ほど危険に満ちたものはほかにかつてあったためしがない。正統とは正気であった。そして正気であることは、狂気であることよりもはるかにドラマチックなものである。正統は、いわば荒れ狂って疾走する馬を御す人の平衡だったのだ。ある時はこちらに、ある時はあちらに、大きく身をこごめ、大きく身を揺らせているがごとくに見えながら、実はその姿勢はことごとく、彫刻にも似た優美さと、数学にも似た正確さを失わない。

── G.K.チェスタトン『正統とは何か』

正気と狂気の間―社会・政治論

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