NAKAMOTO PERSONAL

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9条は憲法違反である

昨日の『産経抄』より。

「【産経抄】ケント・ギルバート氏が指摘する憲法違反とは 10月10日」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/151010/clm1510100003-n1.html

 思いがけない言葉に虚を突かれることがある。米カリフォルニア州弁護士のケント・ギルバートさんは先日、民放テレビの討論番組でこう指摘した。「憲法9条自体が憲法違反だと思っている」。

 3日付の僚紙「夕刊フジ」のギルバートさんのコラムによると、その趣旨はこうである。憲法とは本来、権力者に義務を課すことで専制を防ぐものだ。権力者の義務には、他国の侵略を防ぐ国防が含まれる。国防義務を十分に果たす上で9条が障害であれば、9条こそが憲法違反となる…。

 安全保障関連法を憲法違反と指弾する憲法学者らが、この意見をどう受け止めるかは分からない。ただ、9条を順守した結果、憲法の定める生存権が脅かされたり、基本的人権が制限を受けたりする事態を招くことがないとは言い切れない。

 ギルバートさんは同コラムで「聖典を否定されて激怒する人も多い」と反応も紹介していた。憲法聖典化し、その解釈権を独占して自らの権威を守ろうとしている現代のパリサイ人(ユダヤ教の律法学者)、憲法学者らへの皮肉に聞こえる。

 「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである」。イエス・キリストはこう説いた。律法を厳格に解釈し、やがては律法そのものより、自分たちが積み重ねてきた解釈の方を重んじる本末転倒を演じたパリサイ人を批判したのである。

 徳島文理大学大学院の八幡和郎教授は新著『誤解だらけの平和国家・日本』の中で、こう断じている。「憲法学者がなんでも憲法違反にしたがるのは職業的利益のためです」「彼らはいろいろ難癖をつけて憲法違反といわないと、商売にならない人たち」。専門家の意見だから客観性・合理性があるとはかぎらない。

「【九州「正論」懇話会詳報】ケント・ギルバート氏『日本は天皇陛下が残ったことでまとまることができたが、米国が植え付けた自虐史観がなお…』」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/premium/news/151009/prm1510090006-n1.html
「『朝日の嘘は今世紀最大の嘘』 ケント・ギルバート氏 「歴史戦」講演会詳報」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/politics/news/151003/plt1510030020-n1.html


憲法第9条こそ憲法違反じゃないの?』(小川和久) https://facebook.com/kazuhisa.ogawa.5/posts/830446183698546

 私は当時の日本の政治家がそれほど馬鹿だったとは思わないし、政治家という職業は憲法学者ほど気楽に出来るものとも思わない。改めて強調するまでもありますまいが、これは明らかに押付けられて仕方なく作った憲法です。いかにも不甲斐無いとは思いますが、当時の実情を考えれば、情状酌量出来ない事ではない。しかし、それならそれで事情を説明して国民の前に一言詫びれば良いと思います。アメリカも公式に謝罪した方が宜しい。そうすれば、われわれはさっぱりした気持ちで、それこそ自発的に、われわれの憲法に天下晴れて対面が出来るでしょう。今のままでは自国の憲法に対して、人前には連れて出られない妾のような処遇しか出来ません。もっとも、それを平和憲法として誇っている人も沢山をりますけれど、それはその人達が妾根性を持ち、事実、妾の生活をしているからに他なりません。

── 福田恆存『日本への遺言』