NAKAMOTO PERSONAL

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福澤諭吉における「立国の公道」

「【正論】福澤諭吉における『立国の公道』 拓殖大学総長・渡辺利夫」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/150916/clm1509160001-n1.html

 中国は“遅れてやってきた帝国主義国”である。持続的な高成長により掌中にした資金力をもって軍事力の強大化を図り、新覇権国家として世界に君臨したいという欲望を抑え切れないのであろう。 さもありなんである。米国は9・11同時多発テロ事件以来、世界の警察官であるよりも前に米本土防衛を主眼とする戦略へと舵(かじ)を取り、ピボットと称される東アジア基軸戦略も東シナ海南シナ海への中国の膨張を押し止める力を発揮できないでいる。日本は平成不況にはまり込んで以降の長期低迷から脱する見込みがなお立たず、加えてこの間、少子高齢化の顕著な進行により経済社会の全体が衰亡化の様相を呈している。


 憲法を生命より上位に置く倒錯≫

 東アジアの現状変更勢力が中国であることに疑いはない。これに抗して東アジアの勢力均衡を辛くも保持する力量をもつメカニズムが日米同盟である。国際秩序を守るメカニズムが勢力均衡だという論理の基本には、古典も現代もない。違いは、現代の勢力均衡のありようが古典の時代に比べて格段に複雑化し、その分だけ高度の戦略的思考と情勢分析能力が必要だということだけである。

 集団的自衛権は個別的自衛権とセットになってすべての主権国家に賦与されている固有の権利である。中国の尋常ならざる軍拡を前にしながら、憲法の制約のゆえになおこの固有の権利までが認められないというのであれば、帰結は憲法を国民の生命と財産より上位におくという倒錯である。

 個別的自衛権をもって外敵に対処可能だと主張する者がいる。本気でそんなことを考えているのだろうか。国益の核心への侵犯がいよいよ差し迫り、それでもなお座して死を待つ国家などどこに存在しえようか。個別的自衛権の法的な閾値(いきち)を大きく超えて他国の領域に侵入せざるをえなくなる羽目に陥る危険性は、国家が生存本能をもつ存在である以上、十分にあり得る。その程度の想像力を人々はなぜもてないのか。


 ナショナリズムの強化を≫

 米国の覇権の大樹の陰に身を隠し秘やかにも安穏な人生を送ることができた時代はもはや過去のものだ。戦争は非道である。ならばその非道の抑止にはいかなる戦略が最適かに関心を向けないのであれば、人生の平仄(ひょうそく)が合わないではないか。官軍に矢を引いて西南戦争を引き起こした西郷隆盛を批判する往時のジャーナリズムを「政府の飼い犬に似たり」と蔑(さげす)み、国民の抵抗の精神を衰頽(すいたい)させる「文明の虚脱」だと難じたのは福澤諭吉である(「丁丑(ていちゅう)公論」)。

 福澤といえば「文明開化」なる用語を編み出し、著作『西洋事情』『文明論之概略』により維新期日本の欧化政策に絶大なる寄与をなした啓蒙(けいもう)思想家である。その福澤の思想的立脚点の一つが「立国は私なり、公に非ざるなり」(「痩我慢之説」)であったことに思いを致そうではないか。

 帝国主義列強がアジアを蚕食する一方、支那、朝鮮がこの「西力東漸(とうぜん)」の国際政治力学を理解できず「旧套(きゅうとう)」の中に「窒塞(ちっそく)」するという現状を前にして、福澤は「公」(コスモポリタニズム)ではなく「私」(ナショナリズム)の強化こそが「立国の公道」であることを激情をもって訴えた。

 文明は普遍である。この原理において欧米は日本より先んじているとはいえ、普遍には遠い。この段階にあっては、国家という存在と忠君愛国なる「私情」が不可欠である。確執限りなき内外条件からすれば「自国の衰頽に際し、敵に対して固(もと)より勝算なき場合にても、千辛万苦(せんしんばんく)、力のあらん限りを尽し、いよいよ勝敗の極(きょく)に至りて、始めて和を講ずるか、若(も)しくは死を決するは、立国の公道にして、国民が国に報ずるの義務と称す可(べ)きものなり」と語り、これを痩我慢の説だと銘じた。


 ≪独立不羈の国民育成≫

 人間という存在は、他の生命体と同じくその根本においては私であり、個の私情こそが至上の価値をもつ。しかし外国に対する場合には必ずや同胞としての私情が湧出し、国民としての私情すなわちナショナリズムという「偏頗(へんぱ)心」が優位を占めなければならないと福澤は説く。私情といい偏頗心というからには普遍としての文明からは隔たる心理ではあるが、各国民が私情と偏頗心を露(あら)わにしている以上、自らもこれを重んじなければ国はもたないと主張する。

 福澤は好戦主義者ではない。学問を究めて高尚なる人間として「一身独立」し、もって「一国独立す」べきことを説き、「独立の気力なき者は、国を思ふこと深切(しんせつ)ならず」と論じて、独立不羈(ふき)の国民育成の緊急性を生涯にわたって主張しつづけた人物であった。

 現代の極東アジア地政学は幕末・維新期を再現させるかのごとくに剣呑(けんのん)な状況に入らんとしている。他国が自国の領域を平然と侵害する現状を拱手(きょうしゅ)傍観し、集団的自衛権のあれほど限定的な行使容認までに異を唱えるというのであれば、福澤はその「文明の虚脱」に泉下で深い慨嘆の息を吐いているのに違いない。


やせ我慢の説。

 「左(さ)すれば、自国の衰頽に際し、敵に対して固(もと)より勝算なき場合にても、千辛万苦(せんしんばんく)、力のあらん限りを尽くし、いよいよ勝敗の極に至りて初めて和を講ずるか、もしくは死を決するは立国の公道にして、国民が国に奉ずるの義務と称すべきものなり。すなわち、俗にいう瘠我慢(やせがまん)なれども、強弱相対(あいたい)していやしくも弱者の地位を保つものは、単(ひとえ)にこの瘠我慢に依(よ)らざるはなし。啻(ただ)に戦争の勝敗のみに限らず、平生の国交際においても瘠我慢の一義は決してこれを忘るべからず。欧州にて和蘭(オランダ)、白耳義ベルギー)のごとき小国が、仏独の間に介在して小政府を維持するよりも、大国に合併するこそ安楽なるべけれども、なおその独立を張りて動かざるは小国の瘠我慢にして、我慢能(よく)国の栄誉を保つものというべし。」

── 福沢諭吉(『瘠我慢の説』)

明治十年 丁丑公論・瘠我慢の説 (講談社学術文庫)

明治十年 丁丑公論・瘠我慢の説 (講談社学術文庫)