戦争と戦士について
ツァラトゥストラ続き。
『戦争と戦士について』
われわれは最高の好敵手から手加減されたくない。こころの底から愛する者たちからも、そうされたくない。だから諸君にむかって真実を語ることを許してくれ。
戦いのなかで出会った、わが兄弟たちよ。わたしは諸君をこころの底から愛する。わたしは諸君に似ているし、似ていた。そしてわたしは諸君の最高の好敵手だ。だから諸君にむかって真実を語ることを許してくれ。
平和を愛するならば、新たな戦いへの手段としてでなくては。そして長い平和より短い平和を。
わたしが諸君に勧めるのは労働ではない。戦いだ。平和ではない。勝利だ。君たちの労働は戦いであれ、平和は勝利であれ。
ひとは弓矢を身につけているときだけ、沈黙して静かに座していることができる。そうでないときは、ただ無駄口を叩いてはいがみあう。君たちの平和は勝利であれ。
君たちは言う、大義あらば戦争も聖なるものとなると。わたしは諸君に言う。よい戦争は、一切の大義を神聖なものにすると。
戦いと勇気は、隣人愛よりも多くの偉大なことを成し遂げた。今まで多くの困窮した人々を救ってきたのは、君たちの同情よりもその勇敢さだ。
「なにが善いことなのか」と君たちは問う。勇敢であることが善い。「かわいくて心にしみるものがいい」などとは。小娘たちに言わせておけばいい。
ひとは君たちを冷酷と言う。だが諸君の心情は純粋だ。君たちが心からの情愛をあらわすときの、その羞じらいがわたしは好きだ。君たちはみずからの心の満ち潮を恥じる。だが他の人々はみずからの引き潮を恥じる。
君たちは醜いか。よろしい、わが兄弟たちよ。ならば崇高さを身にまとえ。それは醜い者が着るマントだ。
だが、諸君の魂は偉大になると傲りはじめる。崇高さのなかに悪意が生まれる。わたしは君たちをよく知っている。
悪意という点で、傲慢な者と意気地のない者がふと手を結ぶ時がある。しかしそれは双方の誤解のなせるわざだ。わたしは君たちをよく知っている。
君たちには、憎むべき敵のみがあり、軽蔑すべき敵があってはならない。みずからの敵を誇れなくてはならない。ならば敵の成功は、諸君の成功でもある。
── ニーチェ(『ツァラトゥストラかく語りき』佐々木中 訳)
- 作者: フリードリヒ・W.ニーチェ,Friedrich Wilhelm Nietzsche,佐々木中
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
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