NAKAMOTO PERSONAL

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「聖戦完遂と反戦平和」

「【産経抄】聖戦完遂と反戦平和 8月7日」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/150807/clm1508070004-n1.html

 桜井俊(しゅん)氏の総務次官就任は、テレビのワイドショーでも取り上げられた。アイドルグループ「嵐」のメンバー、翔(しょう)さんの父親だったからだ。94歳の大往生を遂げた作家の阿川弘之ひろゆき)さんも晩年は、テレビで活躍する長女の佐和子さんの父親と、紹介されることが多かった。

 「新人」時代の佐和子さんが、東京の「台東区」を「ダイトウク」と発音すると、すかさずテレビ局に電話した。男性アナウンサーは、「お父さんから訂正がありました」と紹介したそうだ。言葉にうるさい阿川さんらしい、親バカぶりである。

 戦時中は、海軍士官として通信諜報作業に従事し、敗戦を中国の漢口(現・武漢)で迎えた。なぜ、無謀ないくさを防ぎ得なかったか。わずか3年半にすぎない海軍生活が、一生のテーマとなった。

 実在の特攻隊員をモデルにした『雲の墓標』や『山本五十六(いそろく)』『米内(よない)光政』『井上成美』の提督3部作は、戦争文学の名作とされる。一方で、遠藤周作さんや北杜夫さんとの愉快な交友録や、食べ物、乗り物をテーマにしたエッセーでも人気を博した。阿川さんによれば、ユーモアは、海軍士官が心がけるべきモットーの一つだった。

 100周年を迎える高校野球が始まった。野球の用語でさえ、ストライクを「よし」と言い換えていた異常な時代について、小紙の『正論』欄に書いている。「聖戦完遂」のために、憎むべき言葉を使うのをやめよう、というのだ。阿川さんによると、最近の風潮は、「聖戦完遂」が「反戦平和」に変わっただけ。どちらも、世界の物笑いだと断じていた。

 「反戦思い詰めが持つ危険性」と題した原稿が掲載されたのは、25年前である。昨今の安保法制をめぐる議論に、そのままあてはまる。


当時の海軍は頭の固い"コチコチ"の精神主義を嫌い、スマートネスをモットーとしたジェントルマンシップが色濃く残っていた。
敵性語としての言い替えや排除が行われる中、海軍内では英語を通したといわれる。

 良き時代の海軍は、身体のこなしも心のあり方も、総じてコチコチになるのを嫌いました。いわゆる心身のフレキシビリティというものを大事にしたのだが、これまた海軍の伝統だったのです。
 中学を出て、江田島兵学校へ新しく入って来た生徒たちに、教官なり、上級生がまず言って聞かせる言葉が、「貴様たち、アングルバーじゃ駄目だぞ。フレキシブル・ワイヤでなくてはいかん」。アングルバーというのは、字引を引くと、「山形鋼」と出ていますが、要するに橋梁の工事現場なんかに置いてあるがっちりした鉄材のことらしい。あれは一見、立派で丈夫そうに見えるけれど、そのもの自体として、何の働きもしない。それに引きかえ、船のデリックからだらっと下っているフレキシブル・ワイヤ、こいつは何十トンもの重量物を上から下へ、右から左へ、自由に移動させることが出来る。海軍士官となるべきお前たちは、同じ鋼材でもコチコチの方ではなく、ぐにゃぐにゃの方を志せというんですから、世間の人が想像している軍隊の教えとは大分違いました。

── 阿川弘之(『高松宮と海軍』)