知るものは言わず、知らないものがしゃべる日
八月六日は一日限りの広島の思想家が集まる日である。知るものは言わず、知らないものがしゃべる日である。そしてその他の日本国民が冷淡なくせに熱心に平和を口にする日である。
── 山本夏彦(『何用あって月世界へ』)
「【主張】被爆70年 「過ちは繰り返しませぬ」 誓うべきは核保有国である」(産經新聞)
→ http://www.sankei.com/column/news/150806/clm1508060002-n1.html
広島は被爆70年の「原爆の日」を迎えた。
人類が初めて体験した核兵器の惨禍を知る被爆者の平均年齢は今年、80歳を超えた。遺族も高齢化している。
長崎とともに被爆地が訴え続けてきた「核兵器廃絶」は、いまだ道筋が見えない。
ロシアのプーチン大統領は、昨年のクリミア併合の際に、あろうことか核使用の準備も指示したと述べた。核戦力の増強を図る中国は、海洋覇権を狙い周辺国に脅威をばらまいている。北朝鮮は変わらず核開発に狂奔する。
≪慰霊の政治利用許すな≫
節目の今こそ核兵器廃絶へ向けて、まずは核軍縮・不拡散の一歩を踏み出さなければいけない。
何度か8月6日の広島を訪れ、印象に残るシーンがある。
まだ夜が明けぬ平和記念公園に、孫であろう若者に車椅子を押されて老婦人がやってきた。
いくつもある慰霊碑の一つで車椅子を降り、おぼつかない足取りで前に進んで、手を合わせる。丸まった背が、小刻みに震えているように見えた。
以前は慰霊碑の前で夜を明かす人も少なくなかった。
やがて空が白み、公園はセミの鳴き声に包まれる。平和記念式典の準備が始まるころ、すでに慰霊を終えた人々は家路につく。
式典会場の外ではデモや集会が行われ、原爆投下時刻には原爆ドーム前で恒例になったダイインが繰り広げられる。ほとんどは県外からの参加者である。
4年前、当時の菅直人首相が式典のあいさつで「原発に依存しない社会をめざす」と語ったときから、スローガンは「脱原発」「再稼働反対」が多くなった。核兵器と原子力の平和利用である原発を同一視するのはおかしい。
今年は国会で審議されている安全保障関連法案をからめて「戦争反対」と叫ぶのだろう。
古くは社会主義国の核実験をめぐって原水爆禁止日本協議会(原水協)と原水爆禁止日本国民会議(原水禁)とに分裂し、広島での世界大会も別々に開催された。
8月6日は原爆の悲惨を訴え、犠牲者を悼む日である。政治的に利用してはならない。
70年たって記憶が次第に薄れるなか、被爆体験を恣意(しい)的にゆがめてはいけない。漫画「はだしのゲン」である。作者の故中沢啓治さんの体験から、原爆で父と姉弟を奪われた少年ゲンが、生き残った母と妹を助け、原爆孤児の仲間たちと支え合って懸命に生きる姿は、当初は感動を与えた。
しかし、日本共産党系の雑誌や日教組の機関誌に掲載されるようになって、史実に基づかない旧日本軍の蛮行に力点を置き、ゲンに「わしゃ天皇はきらいじゃ」と言わせるなど、描写が反日的、自虐的になった。
≪主語のない碑文を正せ≫
「はだしのゲン」は翻訳されて各国で出版されているという。慰安婦報道と同様に、日本をおとしめる悪影響は計り知れない。
そもそも原爆死没者慰霊碑に刻まれた碑文に問題がある。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰(り)返しませぬから」
主語のないこの文章はかねて、日本が過ちを犯したように読み取れると指摘された。少なくとも「過ちは繰り返させませぬから」としなければ意味が通じない。
極東国際軍事裁判(東京裁判)で「戦勝国による事後法で裁くのは国際法に反する」と日本を擁護したインド人のパール判事は、昭和27(1952)年に広島を訪問し、「原爆を落としたのは日本人ではない。この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない」と碑文を批判した。
広島市はホームページで「『過ち』とは一個人や一国の行為を指すものではなく、人類全体が犯した戦争や核兵器使用を指しています」と説明している。
ならば、すべての核保有国に署名を呼びかけたい。碑文は格段に重みと実効性を増すだろう。
5年に1度の核拡散防止条約(NPT)再検討会議は成果なく終わり、核軍縮・不拡散の交渉は停滞している。脅威が存在する現実を直視せねばならない。
来年の伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)に先立つ外相会合は広島が舞台となる。この機会に、ホスト国で唯一の被爆国の日本が果たすべき役割は大きい。