NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

正義の主張は恥ずべし

“Je ne suis pas d’accord avec ce que vous dites, mais je défendrai jusqu’à la mort votre droit de le dire”

(僕は君の意見には反対だ。だがしかし、君がそれを主張する権利は命をかけて守る)

── ヴォルテール


「【阿比留瑠比の極言御免】安保法案賛成派は「悪」なのか SNSにあふれる根拠のない断言」(産經新聞
 → http://www.sankei.com/premium/news/150723/prm1507230007-n1.html

 タレントで「ウルトラマンダイナ」の主演も務めたつるの剛士氏が、15日付の自身のツイッターでつぶやいた安全保障関連法案に関する発言が「炎上」している。問題とされたのは、以下の内容だ。

 「『反対反対』ばかりで『賛成』の意見や声も聞きたいなぁって報道やニュース観ていていつも思う。賛成派だって反対派だって平和への想い、戦争反対の想いは同じ」

 ごく常識的で当たり前のことを語っているだけだと感じるし、一方的な主張に偏りがちなメディアへの警鐘とも読めるいい指摘だ。ところが、これに安保関連法案の反対派はカチンときたらしい。次のような猛批判が寄せられている。

 「アホすぎる」「戦争に行く覚悟はあるのですか」「法案推進してる側は『戦争賛成』なんだよ」…。

 安保関連法案を批判する分にはどれだけ激しくても言論の自由だが、賛成したり、中立的な意見を表明したりすることはタブーであり、それは許されないこととされているかのようだ。

 国会周辺を歩くと、安保関連法案反対派のこんな演説を聞くことがある。

 「安倍晋三首相は、軍需産業と結託して戦争を起こすことでカネもうけをたくらんでいる」

 だが、安倍首相をはじめ、この平和の恩恵を享受して繁栄してきた日本で、戦争をしたい政治家がいるとは到底考えられない。そもそも、いま戦争することにどんな利点や意義があるというのか。

 安保関連法案の賛否にしたところで、本来は平和を守るための方法論の違い、どんな政策が有効かの考え方の相違であるはずだ。賛成派が反対派より好戦的だなどとどうして言えよう。

 にもかかわらず、自分と考え方の異なる人を根拠なく「悪」と見なし、頭の中で勝手に「悪い人たち」がいると仮想し、相手を偏見に基づいて断罪する人たちがいる。

 つるの氏のツイッターへの反応にもそんな傾向が表れているが、17日付の東京新聞に掲載された思想家の内田樹(たつる)・神戸女学院大名誉教授の4段見出しの大型談話には唖然とした。内田氏は安保関連法案の衆院通過に関連しこう述べていた。

 「(敗戦後)表に出すことを禁じられた『邪悪な傾向』が七十年の抑圧の果て、フタを吹き飛ばして噴出してきたというのが安倍政権の歴史的意味だ。(中略)彼らは『間違ったこと』をしたい」

 「安倍首相は、世界に憎しみと破壊をもたらすことを知っているからこそ戦争をしたいのだ」

 いったいどうしてこんな極端なことを言って、他者を根拠不明のまま攻撃できるのか甚だ不思議である。

 こうした現象をどうとらえればいいのか-。こんなことを考えていたら、内田氏自身が月刊誌「新潮45」8月号の記事で、ツイッターなどSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などについてこう語っていた。

 「短い文章で断定的に言う人が多い。何の根拠があってこんなに断言するのか分からないけれど、何かそれなりの確証なり、経験知なりがあるのだろうと思ってしまう」

 「条理を尽くして、意味の通る話をするより、根拠のない断言や予測不能の行動をした方がメディアに露出する上でははるかに効果的なんです」

 なるほど、そういう認識に立っての言葉だったのかと得心した。 


望むらくは、正義の主張者が、正義論もまた猥談のごとく人前で大声に語りにくき恥ずべきものと心得られんことを。

 自分だけの正義というものはなく、正義はつねに主張のうちにある。相手のため、他人のためと言ったこところで、どうしても人を強制することになる。強制それ自体が悪であるばかりではない。どんな正義もその半面には不正と必然悪をともなってをり、そこには人を益するものがあると同時に人を害するものがあるのだ。
 他人にたいする寛容というのは現代的な美徳であるが、昔は独りを慎む礼儀というものがあって、それは主張や表現を事とする文章の世界をも支配していた。たとへばエロティックな事柄を口にする場合、「デカメロン」でも「アラビアン・ナイト」でも、ユーモアやレトリックなしではすまされなかったのである。
 現代でも、そしてもっと低級な春本や猥談においてさえ、やはりそれなりに低級な笑いを、この場合は礼儀とまでは言わぬごまかしの煙幕に用いている。望むらくは、今日の正義の主張者が、正義論もまた猥談のごとく人前で大声に語りにくき恥ずべきものと心得られんことを。

── 福田恆存(『日本への遺言』)

日本への遺言―福田恒存語録 (文春文庫)

日本への遺言―福田恒存語録 (文春文庫)