一日一言「神を視る力」
仕事の後、シートもカーペットも取っぱらって引っぺがして、お掃除メンテ。
閑話休題、一日一言。
五月二十九日 神を視る力
神を信じる者も信じない者も、議論すればきりがない。神の存在は学問や理屈では尽くしがたく、神を理解するということは人間のまごころ以外にない。
〈明治天皇御製〉
目に見えぬ神の心に通ふこそ
人のこころの誠なりけれ
二宮尊徳は、神道五割、仏教二割五分、儒教二割五分を丸薬にして飲めば、どんな心の病も癒やされると説いたという。
「仏老荘ノ教モ、イハバ心ヲミガク磨種(トギグサ)ナレバ、舎(スツ)ベキニモ非ズ」
仏教も老荘の教えも、心を磨くためになるのであれば捨てる必要は無い。
どんな神さまでも良い。上手く付き合い、上手に使いなさい。と。
もっとも神さまがいようがいまいが、教祖さまが見ていようが、いまいが、それによって変わるような生き方は本当ではない。
人の見ていない所で、神さまのいない所でこそ頑張らないと。
と、自戒。
『次室士官心得』にもある。
- 犠牲精神を発揮せよ。大いに縁の下の力持ちとなれ。
- 要領がよいという言葉も聞くが、あまり良い言葉ではない。人まえで働き、陰でずべる類の人に対する尊称である。吾人はまして裏表があってはならぬ。つねに正々堂々とやらねばならぬ。
- 何事にも骨惜しみをしてはならない。乗艦当時はさほどでもないが、少し馴れて来ると、とかく骨惜しみするようになる。当直にも、分隊事務にも、骨惜しみをしてはならぬ。いかなるときでも、進んでやる心がけが必要だ。身体を汚すのを忌避するようでは、もうおしまいである。
犠牲精神を発揮せよ。
大いに縁の下の力持ちとなれ。
裏表があってはならぬ。つねに正々堂々とやらねばならぬ。
身体を汚すのを忌避するようでは、もうおしまいである。
“男おいどん”、かく語りき。
神もホトケもクソもあるもんかと思うばってん
もし もしいらっしゃるなら
天地・宇宙 万物をつかさどる神サマ
おいどんは男ばい!
しあわせにしてくださいとも
たすけてくださいとも
死んでもたのみません
おいどんはおいどんのやりかたでがんばるけん
見ていてください
── 大山昇太(『男おいどん』)