NAKAMOTO PERSONAL

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『歴史認識』

「【正論】取り戻すべき『歴史認識』の本質 埼玉大学名誉教授・長谷川三千子」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/150420/clm1504200001-n1.html

 ≪「歴史修正主義」のレッテル≫

 ここ20年ほど「歴史認識」という言葉が妙なかたちで独り歩きしています。本来「歴史認識」とは、正しく歴史をとらえるための知的姿勢を語る言葉だったはずなのに、今では、ある特定の歴史上の出来事についての特定の見解を指して「歴史認識」という言葉が使われます。そして少しでもそれに疑問を持って客観的な再検証を試みようとすると、「歴史修正主義」というレッテルのもとに激しく糾弾されてしまう-そんな状況が国の内外で続いています。

 3月の日中韓外相会談では「歴史を直視し、未来に向かうとの精神」が3カ国の共通認識として発表されたようですが、こんな状態では本当に「歴史を直視」することは難しいと言わざるを得ないでしょう。

 では、本来の歴史認識とは、いったいどのようなものなのでしょうか? まず第一に必要とされるのは、歴史を正しく知るのがいかに難しいことであるかを肝に銘ずる、という知的謙虚の姿勢です。

 古代ギリシャの歴史家ツキディデスは、紀元前5世紀のペロポネソス戦争を開戦当初から取材調査して『戦史』と題する大部の著作を残し、実証的歴史学の先駆者ともいわれている人ですが、彼がまず第一に強調するのは歴史(ことに戦争の歴史)を調査することの難しさです。彼はその難しさをこんな言い方で語っています。

 「個々の事件にさいしてその場にいあわせた者たちは、一つの事件についても、敵味方の感情に支配され、ことの半面しか記憶にとどめないことが多く、そのためにかれらの供述はつねに食いちがいを生じた…。」


 ≪真実究明をいとうなかれ≫

 直近の出来事についてすら、正確な検証はかくも難しい。まして過去の出来事の聞き伝えとなると、人々の史実についての無知はさらにひどくなる、と彼は言います。「大多数の人間は真実を究明するための労をいとい、ありきたりの情報にやすやすと耳をかたむける」-この言葉は、つねに「もっとも明白な事実のみを手掛かりとして」歴史の真実を探求してきた人間だからこそ語りうる切実な警告だといえるでしょう。

 このような2千年以上も前の歴史家の言葉を胸に、現代のわれわれの歴史認識のさまを振り返ってみると、まことに恥じ入るほかはありません。

 3月17日付の当欄でも紹介しましたが、第一次大戦、第二次大戦の戦後処理においては、個々の出来事についての「敵味方の感情に支配」されることのない客観的検証、などといったものは、はなから放棄されていました。まず大前提として、敗戦国の行った戦争は「侵略」であり「ウォー・ギルト」(戦争という罪)であるという結論が先にあり、それに沿い従ったかたちで歴史が描かれてきたのです。

 たしかに、1974年の国連の「侵略の定義に関する決議」を見ると「侵略行為が行われたか否かの問題は、個々の事件ごとのあらゆる状況に照らして判断されなければならない」という慎重な言い方をしており、またそもそもこの決議の目的は、将来の「潜在的侵略者」の抑止や、それに対する機敏な対応ということであって、過去の歴史の断罪ではありません。

 しかし、そうした健全な常識の復活の機運がわずかばかりあったにしても、いわゆる東西冷戦の終わりとともに、再び旧枢軸国の悪を言い立てるということが「歴史認識」の大枠として固定化され、強化されて現在に至っています。もしも現在、ツキディデスがよみがえったなら、こうした現状を批判して、「真実を究明」すべきことをつよく主張し、たちまち「歴史修正主義者」のレッテルを貼られてしまうことでしょう。


 ≪村山氏は本当に謙虚だったのか≫

 いま改めて、20年前のいわゆる村山談話を振り返ってみますと、そうした世界の知的怠慢を正すどころか、それに流されているとしかいえません。この談話の核心とされている部分は「おわび」が基調となっています。村山氏は「植民地支配と侵略によって」「多大の損害と苦痛を与え」たことを疑うべくもない歴史的事実と受け止めて、「おわび」を表明されています。一見、まことに心優しく謙虚な姿勢と見えます。

 しかし、これは本当に謙虚な姿勢といえるでしょうか? 村山氏はこの歴史的事実の内容として「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り」と語ったのですが、その具体的内容を記者に尋ねられて、まともに答えることができませんでした。まさに「真実を究明するための労をいとい、ありきたりの情報」をうのみにしてしまっていたのです。

 これでは「来し方を訪ねて歴史の教訓に学び」正しく「未来を望」むどころではありません。本当に「歴史を直視」するには、歴史についての知的謙虚が不可欠です。日中韓外相会談の共通認識を活(い)かすためにも、わが国が率先して本来の正しい歴史認識を取り戻さなければなりません。

 「将来に向かってよりよい歴史をつくり出す」という家永三郎氏の発言は何事か。歴史は作り出すものではない。勿論、作り出したものでもない。歴史が吾々を作り出したのである。日本国憲法も民主主義、平和主義も歴史が作り出したのである。最良の史書においては歴史が主人公になり、その顔が見える様に書かれている。家永氏の軽視した「記紀」は正にそういうものではないか。右に引用した家永三郎氏の「新日本史」末尾に徴して見ても明らかな通り、この書物の主人公は歴史ではなく現代である。現代の顔を、或は自分の顔を映し出す自惚れ鏡を歴史教科書と称することは許されない。古来、歴史を鏡と称して来たのは、それによって現代、及び自分の歪みを匡(ただ)す意味合いのものではなかったか。

── 福田恆存『私の歴史教室』

日本への遺言―福田恒存語録 (文春文庫)

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読む年表 日本の歴史 (WAC BUNKO)

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