NAKAMOTO PERSONAL

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オダサク

織田作之助の小説みつかる 京都で発行の雑誌」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/life/news/150221/lif1502210038-n1.html

 「無頼派」の作家・織田作之助(1913~47年)が最晩年に書き、専門家にも存在を知られていなかった小説が、戦後の占領期に京都で発行されていたローカル雑誌「国際女性」に掲載されていたことが21日、分かった。

 この小説は「四つの手記」。皮膚美容院を経営する女性の物語で、全集や単行本には収録されていない。「国際女性」昭和21年9月の2号に連載第1回の3ページ分が掲載されていた。

 立教大の石川巧教授(日本近代文学)が昨夏、金沢市内の古書店で同誌の4号を見つけた。その後東京の日本近代文学館の所蔵資料から2号を発掘。3号だけは入手できていないが、各地の資料館などで入手した4号以降に「四つの手記」の掲載はなかった。連合国軍総司令部(GHQ)に提出された資料から、同誌は紙不足のため7号で休刊したことも判明した。

織田作之助:全集にも収録されていない小説見つかる」(毎日新聞
 → http://mainichi.jp/select/news/20150222k0000m040059000c.html

 織田は悲しい男であつた。彼はあまりにも、ふるさと、大阪を意識しすぎたのである。ありあまる才能を持ちながら、大阪に限定されてしまつた。彼は坂田八段の端歩を再現してゐるのである。
 だが我々は織田から学ぶべき大きなものが残されてゐる。それは彼の戯作者根性といふことだ。読者を面白がらせようといふこの徹底した根性は、日本文学にこれほど重大な暗示であつたものは近頃例がないのだが、壇上のスポットライトの織田作は神聖なる俗物ばらから嘲笑せられるばかりであつた。
 まさしく日本文学にとつては、大阪の商人気質、実質主義のオッチョコチョイが必要なのだ。文学本来の本質たる厳たる思想性の自覚と同時に、徹底的にオッチョコチョイな戯作者根性が必要なのだ。かゝる戯作者根性が日本文学に許容せられなかつた最大の理由が、思想性の稀薄自体にあり、思想に対する自覚自信の欠如、即ちその無思想性によつて、戯作者の許容を拒否せざるを得なかつた。鼻唄をうたひながら、文学を書いてはいけなく、シカメッ面をしてシカメッ面をしか書くことができなかつたのである。

── 坂口安吾『大阪の反逆』