NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

『幸福論』

「【産経抄】2月15日」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/150215/clm1502150003-n1.html

 会社の禄をはむ身に、安息の日々はないらしい。何年か前、僚紙夕刊フジ(東京版)のビジネス川柳に秀句があった。〈窓際と言うな今では奪い合い〉。西日が目にしみる年齢はまだ先でも、座席の確保に目を血走らせる御仁(ごじん)は多いかもしれない。

 宝くじに、つかの間の夢を託す人もあろう。お叱りを受けるのを覚悟で、フランスの哲学者アランの言葉を引いてみる。「想像した幸福はけっしてわたしたちの手に入らないことは、確かだ」(『幸福論』白井健三郎訳、集英社文庫)。ごく一部の果報者を除いて。

 幸せの象徴とされる「青い鳥」が、日本で見つかったようだ。日立製作所などが、幸福の量を測定する技術を開発したという。うなずく動作やタイピングなど、人の幸福感に関連する細かな動きを、身につけた端末が感知して「ハピネス度」なる数値に置き換える。

 調査では、「ハピネス度」が平均値を上回った集団で、業務効率が3割以上も跳ね上がったそうだ。人間行動の膨大なデータに裏打ちされた理論といい、職場環境を改める一助になろう。幸福感の要素に「理想の上司」の有無が関与しているかどうかは、聞かずにおく。

 骨身を削る企業戦士にとっては、はしごを外された思いかもしれない。評論家の福田恆存(つねあり)は、幸福になる道を「たった一人の孤独なたたかい」と書いた。時間に追われノルマと格闘しながら成し遂げた大仕事の後に、より多い幸福感が得られんことを願うほかない。

 企業戦士にほど遠いわが身は「起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半」と達観、諦観を心得たつもりでいる。日々の欲得はなお首をもたげるものの、今さら高望みする年でもない。肩の凝らん(コラム)程度でよし、としておく。


福田恒存の『幸福論』。

 失敗すれば失敗したで、不幸なら不幸で、またそこに生きる道がある。その一事をいいたいために、私はこの本を書いたのです。べつの言葉でいえば、自分の幸と不幸とは、自分以外の誰の手柄でも責任でもない。誰もが、いままで誰一人として通ったことのない未知の世界に旅だっているのです。なるほど忠言はできましょう。が、その忠言がどの程度に役だつかどうか、それはめいめいが判断しなければなりません。第一、つねに忠言を期待することは不可能です。
 究極において、人は孤独です。愛を口にし、ヒューマニズムを唱えても、誰かが自分に最後までつきあってくれるなどと思ってはなりません。じつは、そういう孤独を見きわめた人だけが、愛したり愛されたりする資格を身につけえたのだといえましょう。つめたいようですが、みなさんがその孤独の道に第一歩をふみだすことに、この本がすこしでも役だてばさいわいであります。

── 福田恆存(『私の幸福論』)

私の幸福論 (ちくま文庫)

私の幸福論 (ちくま文庫)