NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

『よりよき国に』

「【主張】建国記念の日 『よりよき国に』の覚悟を」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/150211/clm1502110002-n1.html

 わが子の誕生を喜ばない親はまず、いまい。その後の子供の成長を願わない親もいないはずで、「這(は)えば立て、立てば歩めの親心」とはまことにもって至言である。

 国家についてもまったく同じことが言えるのではなかろうか。

 日本書紀によれば日本国の誕生(建国)は紀元前660年で、その年、初代神武天皇が橿原の地(奈良県)で即位した。明治6年、政府はその日を現行暦にあてはめた「2月11日」を紀元節と定め、日本建国の日として祝うことにしたのである。

 西欧列強による植民地化の脅威が迫るなか、わが国は近代国家の建設に乗り出したばかりで、紀元節の制定は、建国の歴史を今一度学ぶことで国民に一致団結を呼びかける意義があった。

 先の敗戦で紀元節は廃止されたものの昭和41年、2月11日は「建国記念の日」に制定され、祝日として復活した。「建国をしのび、国を愛する心を養う」と趣旨にうたわれているように、国家誕生の歴史に思いをはせる大切さは、今ももちろん変わっていない。

 ただ忘れてはならないのは、親心と同様に、誕生以後の日本を少しでもよい国にしようと、先人らが血のにじむ努力を重ねてきたことである。現在を生きる国民もまた、さらによい国にして次の世代に引き継がねばならない。

 慶応義塾の塾長を務めた小泉信三は昭和33年、防衛大学校の卒業式で祝辞を述べた。その中で小泉は、先人の残したものをよりよきものとして子孫に伝える義務を説いたうえで、こう続けた。

 「子孫にのこすといっても、日本の独立そのものが安全でなければ、他のすべては空(むな)しきものとなる。然(しか)らば、その独立を衛(まも)るものは誰(だ)れか。日本人自身がこれを衛らないで誰れが衛ることが出来よう」(小泉信三全集から)

 57年前の言葉がそのまま、目下の国防への警鐘となっていることに驚かされる。中国の領海侵入などで日本の主権が脅かされているばかりか、国際的なテロ組織によって国民の命が危険にさらされてもいる。

 だが、わが国の現状は、自らの国防力を高めるための法整備も十分ではなく、その隙をつかれて攻撃される恐れもある。紀元節制定時に倣って今こそ、国を挙げ「日本人自身が日本を衛る」覚悟を決めなければならない。

福田恆存に曰く、

 物の中にはそれを造った人の心、それを所有し、使用している人の心が生きている。たとえば、親にとっての死児の遺品は決して単なる物とは言えない。自分の子供が愛玩していたおもちゃは、遺された親にとって、子供の心と自分の心とがそこで出会う場所であり、通い路なのであり、随(したが)って、それは心の棲家(すみか)なのであります。自分自身の所有品についても、自分が長年の間使って来た、つまり付き合って来た品物は事のほか愛着を覚え、吾々はそれを単なる物として見過ごす事は出来ないのです。消しゴムや小刀の様な些末(さまつ)なものですら、そしてそれがもう使うに堪えなくなったものでも、むげに捨て去る気にはなかなか成れないものです。この「こだわり」を「けち」と混同してはなりません。それはその物の中に籠(こ)められている自分の過去の生活を惜しむ気持ちであって、吾々はその物を捨てる事によって自分の肉体の一分が傷付けられ切り落とされる痛みを感じるのであります。
 ましてその物が、自分が生まれた時から暮して来た家、子供の頃に登った柿の木、周囲の山や川、そういうものともなれば、なおさら強い愛着を感じ、自分の肉体の一部どころか、時にはそれが自分の命そのものに等しい感じを懐くのであって、それを私達は「命よりも大事な」とか「命の次に大切な」という言葉で表現しているのです。そうした自然、風物、建物に対する愛情が愛郷心愛国心の根幹を成すものではないでしょうか。

── 福田恆存『物を惜しむ心』

日本への遺言―福田恒存語録 (文春文庫)

日本への遺言―福田恒存語録 (文春文庫)