NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

そんなに日本は忌むべき国ですか。

「【浪速風】朝日のコラムはまた日本を貶めるのか(1月27日)」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/west/news/150127/wst1501270036-n1.html

 夕刊コラムを担当していると、他紙が気になるので真っ先に読む。毎日新聞の「近事片々」、読売新聞の「よみうり寸評」、そして朝日新聞の「素粒子」。どんなテーマを選び、短い文章でどのように皮肉や風刺を利かせているのか。勉強になるが、最近の「素粒子」には首をかしげる。

 「少女に爆発物を巻き付けて自爆を強いる過激派の卑劣。70年前、特攻という人間爆弾に称賛を送った国があった」(1月13日)、「『I AM KENJI』は誰に向けられているか。中東の疑似国家へ。極東で『積極的平和主義』を売り出す国へ」(26日)。どうして卑劣なテロ集団と日本を同列に扱うのか。

 安倍政権に反対だとしても、そんなに日本は忌むべき国ですか。これも「角度」をつけているのですか。看板コラムらしいから社の姿勢と見る。日本を貶(おとし)め、世界に誤解を広めた慰安婦や吉田調書の報道を取り消し、謝罪したはずなのに、ペロッと舌を出している印象がする。


自爆テロと戦時中の特攻を同列に扱ってはならない。
ましてや祖国存亡の危機に己の犠牲を顧みずに戦った彼らを“人間爆弾”とは失礼極まりない。


かの、マルローも言う。

 日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわり何ものにもかえ難いものを得た。これは、世界のどんな国も真似のできない特別特攻隊である。ス夕-リン主義者たちにせよナチ党員たちにせよ、結局は権力を手に入れるための行動であった。日本の特別特攻隊員たちはファナチックだったろうか。断じて違う。彼らには権勢欲とか名誉欲などはかけらもなかっ た。祖国を憂える貴い熱情があるだけだった。代償を求めない純粋な行為、そこにこそ真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である。人間はいつでも、偉大さへの志向を失ってはならないのだ。
 戦後にフランスの大臣としてはじめて日本を訪れたとき、私はそのことをとくに陛下に申し上げておいた。
 フランスはデカルトを生んだ合理主義の国である。フランス人のなかには、特別特攻隊の出撃機数と戦果を比較して、こんなにすくない撃沈数なのになぜ若いいのちをと、疑問を 抱く者もいる。そういう人たちに、私はいつもいってやる。「母や姉や妻の生命が危険にさらされるとき、自分が殺られると承知で暴漢に立ち向かうのが息子の、弟の、夫の道である。愛する者が殺められるのをだまって見すごせるものだろうか?」と。私は、祖国と家族を想う一念から恐怖も生への執着もすべてを乗り越えて、 いさぎよく敵艦に体当たりをした特別特攻隊員の精神と行為のなかに男の崇高な美学を見るのである。

── アンドレ・ マルロー(『特別攻撃隊の英霊に捧げる』


第五列。

 朝日新聞はながく共産主義国の第五列に似た存在だった。第五列というのは国内にありながら敵勢力の味方をするものである。それなら朝日新聞はわが国の社会主義化を望むかというとそんなことは全くない。資本主義の権化である。朝日は昭和天皇を常に天皇と呼び捨てにしていたのに、逝去の日が近づくと陛下と書きだした。ついには崩御と書いた。最大級の敬語である。読売が崩御と書いてひとり朝日が書かないと読者を失うかと恐れたいきさつはいつぞや書いた。
 朝日の売物は昔から良心(的)と正義である。こんなことでだまされてはいけないとむかし私は「豆朝日新聞」の創刊を思いたった。

── 山本夏彦(『「豆朝日新聞」始末』)

朝日新聞は日本の「宝」である

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朝日新聞 世紀の大誤報: 慰安婦問題の深層

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