読書と人生
「広がる“読書ゼロ” ~日本人に何が~」(NHK)
→ http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3592.html
9月、文化庁が衝撃的な調査結果を発表した。調査した2000人のうちおよそ半数(47.5%)が、「1か月に1冊も本を読まない」と回答したのだ。勉学に勤しんでいるはずの大学生でも、40%が1日の読書時間が“ゼロ”という別の調査結果もある。“読書ゼロ”は何をもたらすのか―。人と情報の関わり方を研究している筑波大学の逸村裕(いつむら・ひろし)教授は、学生の小論文の変化に注目している。近年、ほとんどの学生がインターネットの検索サイトに頼って論文を執筆、情報を羅列するものの、持論を展開するのが苦手になっているという。その一方、検索スピードは格段に向上し、閲覧する情報量は急増。わずか1秒で、表示された情報が有用かどうかの判断を下しているという。元来、働きながらでも本を手放さない二宮金次郎(金治郎)を敬ってきた日本人。本との関わり方はどう変わるのか。最新の研究成果も交え、読み解く。
“私、もう3年ぐらい本を読んでいないんです。
そういう人いっぱいいるんじゃないですか。”本を読まない。
読書時間ゼロ。
日本人の2人に1人にまで拡大しています。男性
「1年くらい読んでない。」女性
「3年に1冊読めばいい。」今、大学でも本を読まない人が増えています。
論文の課題を出しても自分の意見を言えない学生が増え、読書ゼロの影響を危惧する専門家もいます。大学教授
「表面的な話をいくつかつなげて、それが自分の意見であるというふうに錯覚する。」20万冊の蔵書を持つジャーナリストの立花隆さんは、人々が本を読まなくなったのはむしろ自然な流れだと指摘します。
ジャーナリスト 立花隆さん
「インターネット経由で人類の知識の総体にアクセスできる、今は。
本の持つ社会的機能が変わった。」読書ゼロは社会に何をもたらすのか。
読書ゼロの実態と最新研究から考えます。続き→ http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3592_all.html
新渡戸稲造、読書と人生を語る。。。
読書にして人間を造らないならば
故に私は一言最後にこういっておきたい。先ず読書には或る意味に於いて便法なく、一度は艱難(かんなん)して苦しまなければならぬ。その代わりに艱難したならば、後は自由自在に、日本の本ならば縦に読まずに横に読み、西洋の本ならば横に読まずに縦に読むことが出来るようになる。それには練習と見識、見識というのは自分は何を望むかということ、何のために本を読むのであるか、今日は暑いし、昼寝をしようと思うが、眠りを助けるために本を読むのだ。演説をするのに何か面白い例を引くために読むのである。今度は自分の心に一つの疑いがあって、それを解決するために読むのであるというように目的に依って違う、随って見識によって違うのである。だから目的と見識が備わった以上は先ず第一に古典を読んで、それもみな読めということではない、バイブルならバイブル、プルタークならプルターク、シエイクスピヤならシエイクスピヤ、何か一つを熟読する。そうして後の方は参考にする。外の書物は自分の尊敬する人の教を補うために使うだけであって、そうなって来ると大きな心棒だけは決まる。それに外のものは皆付けて行くのであって、だから物を言っても、沢山の本を読んでいるから脱線するだろう、しかし心棒が動かぬ以上は皆元に戻ってくる。多読病に掛った奴は話をしても脱線脱線で元に戻ってこない。何を話しているか訳が分からなくなってくる。そうなると話ばかりでなく、人間そのものまで無頼漢になってしまう。何をしても特徴がなくなる。何をやっても駄目になる。この特徴は必要なことで、こういう時になって、初めて読書が人間を拵えることになる。読書にして人間を拵えることに貢献しないならば、これはただ漫談家を作るに過ぎまい。
- 作者: 鈴木範久
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2007/05/16
- メディア: 文庫
- クリック: 5回
- この商品を含むブログ (7件) を見る